栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新中)

幼馴染みと卵がゆ

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 静謐な室内に時計の針が時を刻む音だけが響く。榛名は午後になって上がってきた熱とのどの痛み、鼻水、全身の倦怠感、頭痛に苦しみながら布団の中で寝返りを打った。
 母親がいなくて最も辛いのはこういうときだ。仕事中毒でいつもいない父親を当てにするのはもうとうにやめた。だから午前中、まだ動けるときに近場のコンビニにおかゆとスポーツドリンクと熱さまシートを買いに行ったのだ。

 あのとき行っておいて正解だったな、と思いながら、榛名はギシギシいう体を無理やり起こしてスポーツドリンクを飲もうとコップを手に取った。玄関のチャイムが鳴ったのはそのときだった。
 間の抜けた音が階下からかすかに聞こえてきて、榛名は舌打ちをしそうになった。訪問者が誰かはわかっている――澤だ。時計を見ると午後4時半。部活の真っ最中の時間だ。またもサボって来たらしい。

 もう無視しよう、と思って水分をとり、そのままベッドに潜り込むと、やがてチャイムの音は消えた。そしてほどなくして階段を上がる足音がして、部屋の扉がノックされた。

「榛名さん、寝てる?」

 寝たフリをしてもよかったが、準備をする前にドアが開かれた。夕日の差し込む薄暗い部屋に2階の廊下の明かりと共に幼馴染みが入ってくる。彼女はやはり部活をサボったらしく、紺のセーラー服姿だった。

「また裏から入ったな」
「えへへ」
「えへへ、じゃねえよ。フツーに不法侵入だぞコレ」

 榛名が身を起こそうと四苦八苦していると、背中の真ん中まである髪を後ろでひとつに括った友人は急いでやってきてその背中に手を回した。

「ちょっと、ベタベタ触んなよ」

 いつものように抗議も軽く流される。澤は榛名の言葉を無視してベッドのそばに膝をつくと、手提げ袋から色々取り出し始めた。
 多分階下の冷凍庫から持ってきたであろう氷枕にタオルを巻き、まず枕元に置く。それから額の熱でぬるまった熱さまシートをはがし、新しいのと取り替え、熱いタオルで首元の汗を拭った。
 もう拒絶するのも億劫でやりたいようにやらせておくと、一通り作業を終えた澤が言った。

「汗、だいぶかいてるね。体拭いて着替えた方がいいよ」
「いいよめんどくさい」
「ダメだよ。汗が冷えるとよくないから……」

 しかし確かに下着がだいぶ濡れて気持ち悪かったので、榛名は相手に従うことにした。勝手知ったる澤は榛名の部屋のタンスから新しいパジャマと下着を取り出して持ってきた。そして榛名のパジャマのボタンに手をかけた。

「ちょっと」

 榛名が思わず手で制止すると、澤は不思議そうな顔をした。

「どうしたの?」
「どうしたのじゃなくって、着替えは自分でやるから」
「大丈夫だよ、見ないから」

 何を今さら恥ずかしがっているのか、と暗に言われたようだった。
 確かに小学5年くらいまではお泊まり会のたびに一緒に風呂に入っていたし、温泉旅行だってほとんど澤家としか行ったことがないし、お互い裸は見慣れている。
 今回みたいに風邪をひいたときに着替えさせてもらったことも、その逆もある。

 だけど、当時と思春期を迎えた今とでは全く状況が違った。
 第二次性徴と共に性というものが目覚めた今、榛名は幼馴染みをただの友人として見ることができなくなっていた。

「いい」
「無理だよ、こんなに熱あるのに……」

 食い下がる相手を無理やり押しやって、榛名は自分で着替えを始めた。澤は不満げに、強がっちゃって、と言った後、部屋から出ていった。
 榛名はほっと息をつき、熱で朦朧としながら何とか服を脱ぎ、体を拭いて新しいパジャマに着替えた。そうして、何だってあんな厄介な相手に惚れてしまったのだろう、と思いながら再び体を横たえて目をつぶった。


 うつらうつらしているうちに部屋にだしの良い匂いが漂ってくる。卵がゆだといいな、と思いながら夢とうつつの間をさまよっていると、やがて再び友人が姿を現した。期待通り、手には土鍋ののったお盆を持っている。
 相手は案じるような顔で、卵がゆ作ってみたんだけど食べられそう、と聞いてきた。昨日おとといは匂いをかぐと食欲をそそるどころか気持ち悪くなっていた卵がゆの匂いが、今は気にならない。

 榛名は頷いて身を起こした。澤はホッとしたように榛名の背中に普段使っている枕をあてがい、それからお盆を手渡した。
 土鍋の蓋を開けるとふわふわの卵ののっただしのきいたおかゆが姿を現した。食欲を刺激する匂いに、榛名はごくりと唾を飲みこんだ。澤は枕元にひざまづき、おかゆをれんげですくって小さいお椀に移すと、熱いから気を付けてね、と言った。

「悪い……」

 榛名は手渡されたお椀からおかゆをすくって口に入れた。
 おいしい。とてつもなくおいしい。卵がゆのお手本みたいな味がした。

「食べられるようになってよかった。今回の風邪はだいぶ酷かったねえ」
「ウン……」
「あと食べたいものない? 一応、ゼリーと桃の缶詰とフルーツミックスの缶詰とヨーグルトとヤクルトとアイスと、あとりんご買ってきたんだけど、何がいい?」
「ちょっと買いすぎじゃねえ? いくら?」

 榛名が食べる手を止めて聞くと、澤は笑った。

「そんなこと今は気にしないで。ねえ、何がいい?」
「レシート寄越せ」
「捨てちゃったよ」
「とっとけっていつも言ってるだろうが」

 これはいつものことだった。
 榛名はニコニコこちらを見上げる澤に向かってため息をつきたくなるのをこらえてもう一口おかゆを食べた。

「ごめんごめん。そういえば明日休みだねえ。お父さんいらっしゃるの?」
「いるわけないだろ。あの人は正月まで働く勢いだからな」

 妻を亡くして以来心のバランスを崩した父親は、仕事中毒になっていた。平日は深夜帰りで、休日もほとんど家にいない。顔を合わせることもほとんどなかった。
 多分、榛名がこれほど高熱なことも知らない。

「じゃあ、朝から来てもいい? っていうか今日泊まってもいい?」
「どっちも良くない」
「えー何で?」

 甘えるように言って見上げてきた澤に理性がグラついた。しかしこらえて、榛名は言った。

「そばにいたら伝染(うつ)るだろ」
「平気平気」
「それに部活あるだろ、明日は。っていうか今日もあっただろ」
「いいよ部活はー。榛名さんいないとやることないし」

 あからさまにつまらなそうに言った澤に、榛名は今度こそため息をついた。

「マジで主将の自覚ないのな、お前」
「だって別にやりたいって言ったわけじゃないもん。勝手に押し付けられて、いい迷惑だよ」
「ったく……」

 座布団を持ってきて枕元の床に座り込み、布団に肘をついて榛名を見上げてくる澤のつややかな髪が電気に反射する。少し色素が薄めの髪がとても柔らかくて手触りがいいのを、榛名は知っていた。
 自覚しているのだとしたらあざとすぎる角度で榛名を見上げながら澤が続ける。

「絶対榛名さんの方が適任なのに何で私……? 監督見る目ないなあ~」
「ちょっと、いい加減にしろよ」
「だって榛名さんもそう思わない? キャッチャーのキャパ買いかぶりすぎでしょ。私は榛名さんの球さえ捕れればいいってクチだし」

 口ではそう言いつつも投手陣のデータをしっかり把握していることを知っていたから、榛名は怒らなかった。以前、それを知らなかった頃は大喧嘩になったものだが。

「打率で選ばれたんだろ」
「それが一番安直だよね」
「澤、その辺にしとけよ」

 榛名が少し声を低めて言うと、澤は首をすくめて謝った。そして口を閉じ、榛名が食べ終わるのを待った。
 ご飯粒が判別できなくなるくらいとろとろに煮込まれたおかゆは、2日絶食している榛名の胃にもするする入った。久しぶりにまともなものを食べた、と思いながら八割がた食べると、静かに本を読んでいた澤が目を上げた。そして本を閉じ、いそいそと立ち上がった。

「デザート、持ってくるね」
「ありがと」

 澤は榛名からお盆を受け取り、階下に降りていった。榛名はお盆を渡すときにかすかに触れた指先の感触が妙に残っているのを感じ、そっとその部分を逆側の手で触れた。そこはほんのり熱を持っていた。
 榛名は舌打ちをしてその感触をこすり落とそうと、指で強くこすった。しかし熱はなかなか引いてくれなかった。


 軽快な足音と共に幼馴染みが階段を上ってくる。それは榛名に安心感を与える音だった。
 日はいよいよ傾いて部屋の中はブラインドの隙間から差し込む夕陽でピンク色に染まっている。

 誰かが家にいるというのはいいな、としみじみ思いながら榛名は相手を出迎えた。澤はお盆の上にバイキングみたいに果物やらヨーグルトやらをこまごま並べて持ってきた。これはいつものことだったから驚かなかった。

「りんご、当たりだったよ。とっても甘い」

 そうして澤はニコニコしながらお盆を榛名の膝の上に載せた。

「ありがと」

 勧められて食べたりんごは甘かった。すりおろしてあるので尚更味が濃い。それをヨーグルトにかけて食べたら絶品だった。
 思わず、うま、と漏らすと、澤は満足げに笑って自分用にむいたりんごをひと口食べた。そしてなにげなく言った。

「ずっとこうだったらいいのになー。そしたらずっと一緒にいられるのに」
「何か今怖いこと言わなかった? いいわ、聞かなかったことにする」

 どうしてこうも思わせぶりなことを平気で口にするのだろう、と若干恨めしく思いながら、榛名は相手の言葉を受け流した。すると、澤がちょっと寂しそうな顔になった、気がした。
 何でもかんでも自分に都合よく解釈しちゃダメだな、と思いながら、榛名は相手が用意してくれた果物類を食べた。



 澤は食後も居残って、結局泊まることになった。前日も前々日もその要求を突っぱねたので、今回はもう断る気力がなかったのだ。
 さすがに同じ部屋に寝かせるわけにはいかないと思って1階の客間に行くよう言ったが、澤は聞かなかった。榛名が病気で動けないのをいいことに同じ部屋に勝手に布団を敷き、持参したジャージに着替えて横になった。

「榛名さん、何かあったら声かけてね」
「ウン……」

 静かな部屋の中で秒針の音だけが響く。外は真っ暗で父親の気配もまだなかったが、榛名は安心感に包まれていた。
 昼間よりも更に熱が上がって体は辛い。でも、精神的には昼間よりもはるかに楽だった。

 何かあれば幼馴染みが何とかしてくれる。すぐにやってきて助けてくれる――その安心感はかつて母親がもたらしてくれたものにそっくりだった。そっくりだけれど、どこかが違っていた。

 榛名は目をつぶり、自分に合わせて早々に就寝する幼馴染みの存在をすぐそこに感じながらやがて眠りに落ちていった。



 朝起きると、熱は引いていた。体も驚くほど軽く、部活に行けそうな勢いだ。
 しかしそれは澤に禁止され、結局家で休んでいることになった。
 幼馴染みは榛名に促されて結局部活に行くことに決め、渋々榛名の家を出た。
 去り際、名残惜しげな表情で彼女は言った。

「夜になったらまた熱出てくるかもしれないから寄ってみるね」
「いやもう大丈夫だって」
「わかんないよー。今年の風邪はしつこいっていうから。1週間ぐらい続くかもしれない」
「何で嬉しそうなんだよ……」

 すると、澤は思いっきり笑顔になった。

「だって、ずーっと一緒にいられるから」

 そして呆気に取られている榛名に背を向け、制服のスカートを翻して去っていった。
 
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