白銀楼物語 スピンオフ (更新中)

解けぬ氷を描く画家 1

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        “Describe Adonis, and the counterfeit
            Is poorly imitated after you;
        On Helen’s cheek all art of beauty set,
       And you in Grecian tires are painted new
.”

        アドーニスを描いてみても、その絵は
       あなたを下手くそに模写したものでしかない
       技巧を凝らして美しくヘレンを描いてみれば、
        それはギリシア人の服を着たあなたの姿

                           シェイクスピア ソネット53番より



 そのひとに興味を持ったのは、まったくの偶然だった。図らずも、自宅近くの河原を同僚らしき男と仲睦まじそうに歩いているのを目撃したのだ。図抜けた美貌を持ち、滅多に笑わないとウワサの、通称〝氷の瑠璃″が一緒にいたのは、同じ大見世で彼と妍を競っている看板色子の菊野らしかった。愛想を振りまくことのない瑠璃とは対照的に、接客に定評があり、長らく男娼専門の大見世、白銀楼の顔と言われてきた彼は、穏やかな微笑を浮かべ、笑顔で自分に何ごとかを話す瑠璃に相槌を打っていた。
 川面に反射する午後の陽光を背景に、ふたりは美しい長髪を惜しげもなく白日のもとに曝して、ゆっくりとした足取りで土手を散策していた。傍らにはどちらかの馴染みらしい客がいたが、そんなものは近江流(ながれ)の目には入らなかった。それほどにその風景は完成されていたのである。
 一度付き合いで登楼した際に偶然目にした人形のような表情とはまったく違う、生き生きとした顔の瑠璃に、流は思わず立ち止まってふたりに見入った。彼の比類なきその美しい笑顔、心からの笑顔に流れは衝撃を受けて立ち尽くした。これまで触れてきたあらゆる芸術が及ばぬほど彼が美しかったからだ。
 流はそのとき、彼を描くことに決めた。彼が描かれるべき存在だったからだ。そういうモデルとの出会いがどれだけ貴重かをこれまでの経験や見聞きしたことから知っていた彼は、次の日曜日に、さっそく初会の予約を入れたのだった。
 
菊野と違い、ある程度以上の懐の客の相手しかしない瑠璃の眼鏡に適うかどうか正直自信がなかったが、幸い拒否されることもなく、三回目の登楼までこぎつけ、馴染みになることができた。流はその日、初めて相手とまともに会話をした。相変わらずニコリともしない瑠璃に、たいして金があるわけでもない自分を拒否しなかった理由を聞いたときだった、相手が、はい、そうですか、ありがとうございます、以外のことばを口にしたのは。
「……好みだったからです」
「顔、ですか?」
「ええ、まぁ………」
 それきり黙ってしまった相手の横顔を観察しながら、そういえば見た目だけは万人が認めてくれたな、と過去に思いを馳せた。運が無かったら、今瑠璃の場所にいたのは自分に違いなかった。
「へぇ、そうなんですか………お世辞だとわかっていてもうれしいです」
「…………」
「昔からは容姿だけは褒められたんですよ。それしかないんだから、そういう職に就くよう言われたこともありましたが……結局絵画教室の教師に収まりました」
 そのことばに、それまで銅像のように微動だにしなかった瑠璃が反応を示した。
「絵を………?」
「ええ、まぁ。近くの河原なんかも好きでよく描きに来るんですよ。……実はそこであなたをお見かけして、なんて美しいひとだろうと感動しまして。……〝スタンダール症候群″って知ってます? 素晴らしい芸術作品を見たひとが失神したりする……アレを経験したのですよ、あなたを見たときに。すべてが完璧で、まるで神の作品のようだと思いました」
「〝神の作品″………」
 瑠璃は流を見ようともせずにそう呟いた。その目はここではないどこか、もしくはここにはいない誰かを見ていた。

 〝好み″とか言ったワリにはそういうそぶりをまったく見せぬ瑠璃に翻弄されながらも、流は彼のもとに通い続けた。相手は相変わらずほとんど感情も考えも露わにしなかったが、それでも登楼を許されているのだから、少なくとも嫌われてはいないはずだった。
 瑠璃から、外で会わないか、と持ちかけられたのはそんな折だった。
「……今度外に連れてってくれないか?」
 事後、さっさと着物を身に纏った瑠璃のことばに、流は固まった。傾城の外出許可証は彼にとっては高い壁だったからだ。通称〝青紙″と呼ばれる外出許可証を得るには、廓からの信用と莫大な費用がいる。通い出して三か月そこそこの絵画教室の教師の手の届くシロモノではなかった。
「外に連れて行ってあげたいのは山々なんだけど――」
「費用はうちが出す」
 ことばを濁した流を遮って瑠璃が言った。
「えっ……?」
「で、旦那をマブにすれば出れるから」
流は更に驚いて口をポカンと開けた。難攻不落の要塞と称されている彼は、特定の相手を作らぬことで有名だったからだ。
 不意に心臓がバクバクいいはじめる。流は布団から起き上がって相手を見上げた。瑠璃は片膝を立てて窓際に座り、窓の外に目を向けたまま続けて言った。
「絵を見たいんだ」
 絵があるのは自宅だ。
「それってつまり………」
「………嫌ならいいが」
「いやっ! 嫌じゃない!……でも……」
 ブンブン首を振って否定すると、瑠璃はたいしてうれしくもなさそうに頷き、ようやくこちらを見た。琥珀色の瞳に吸い込まれそうになりながら流があわあわしていると、相手は表情を変えぬまま言い足した。
「旦那ならマブにしてもいいよってこと」
「ほ、本当に……?」
「本当。好きだよ、あんたのこと」
 瑠璃はそう言うと両膝をついてこちらに身を乗り出し、流の首をかき抱いた。
「旦那は?」
 そう蠱惑的な瞳で問われて、流はたまらず相手の腰に手を回した。
「好きだよ……好きに決まってる……」
「じゃあ、いいか?」
 流は頷き、相手の首筋に唇を這わせた。相手は吐息を漏らしつつ、彼の耳元で囁くように言った。
「もうひとり絵を見たがっているひとがいるんだが……一緒に連れていっても?」
 そのことばで流の弾んでいた気持ちが一気にしぼんだ。彼は動きを止めて答えた。
「あっ、そうなんだ………うん、いいよ」
「悪いな…………」
 瑠璃は、その〝もうひとり″を自分の自宅に連れて行くためだけにマブにすると言い出したのではないか、という疑いが不意に流の心の中で芽生えた。しかし誰にも心許さぬこの〝氷の瑠璃″のマブになれるこのチャンスを逃したくなかった流れはそこを追及しなかった。
「ちなみにどなたなの?」
「……菊野さん……ウチの見世の。知ってるだろ?」
 流は少し意気消沈しながらも相手の身体の温もりにうっとりしつつ、瑠璃に聞き返した。
「菊っ……本当にっ?」
 瑠璃は顎を引いた。
「前に絵ハガキくれたことあっただろ? アレ見せたらすごく喜んでくれてさ……」
「彼と仲良さそうだよね、瑠璃さん」
 瑠璃は無感動な瞳を流に戻した。その、悪魔的に蠱惑的な紅い唇に今更ながらゾクッとする。
「よく聞くよ。いくつ違うの?」
「……六歳」
 艶めかしい唇が動き、ことばを紡ぐ。
「そうなんだ……そうすると彼は今――」
「二十三」 
 瑠璃は間髪入れずに答えた。
「来年一月に誕生日がくると二十四」
「へぇ、早生まれなんだ」
「なに、興味あんの?」
 そこでこの日初めて瑠璃はわずかに感情を表に出した。顔を曇らせた相手に、不安にさせてしまっただろうか、と思って、流はすばやく取りなした。
「瑠璃が親しくしてる相手に興味があっただけだよ」
「たぶん、流さんと話は合うと思う――うちより。あのひとも教養あるから」
「聞くね、そういう話」
「部屋がさ――」
 瑠璃は再び流から窓の外に目を移して言った。
「――図書館みたいなの。自分も読む方だけど……〝本の虫″って言うのかね、ああいうひとを。休みも図書館ばっか行ってる……。ま、まま潰れてるみたいだけどな……」
「忙しそうだもんねえ」
 流は客が引きも切らないとウワサの菊野を思い浮かべ、頷いた。ここ四年、お職を張り続けている稀代の傾城、菊野は質の高い接客と客層の広さ、そしてその知性と品性で評判になっていた。遊郭の売れっ妓は一般に太い客、気に入った客しか相手にしないものだが、彼はそういった基準で客を選り好みしたことがないと言われていた。
かつて白銀楼で一時代を築いた翡翠に比肩しうるほどの美貌――“天上の美”と称されていた――を持ちながらいつも、誰に対しても丁寧に、誠意を持って接する彼が不動のトップであるのは自明の理に思えた。
「ヒトには身体を大事にしろとか言うワリに自分は残業してんだから、全然言うことに説得力がない」
 菊野の話になるやいなや饒舌になった瑠璃に、よほど相手を慕っているんだな、と若干妬ましく思いながら、流は相手の横顔を眺めた。
「菊野さん、優しそうだよね。話したことないけど、雰囲気でわかるよ」
「そうなんだよ! ホント、いつも自分らのこと考えてくれて……意地悪なんてされたことなかった……あの人がひとを悪く言うのも一度も聞いたことがない……天使みたいなひとだよ、菊野さんは」
「いい先輩だね」
 笑って言うと、瑠璃はわずかに眉を寄せ、不満げに言った。
「だから足引っ張るヤツもいるワケ。ホント醜いよな、自分で努力もしねーでひと妬んで愚痴垂れ流してるヤツって」
「まぁ、人気者には敵が多いって言うしねえ」
 一番近い場所で競っているはずなのに嫉妬心のカケラもないようすの瑠璃に内心、天使みたいなのは君なんだけど、と思いながら流は相槌を打った。
「生産性ないってゆーかさ。菊野さんがどんだけ努力してるか知ったら、何も言えないし何もできないハズなんだけど……。まーいーや、とりあえず服着てくれる? ウワサの菊野さんがそろそろ来るから」
「えっ?」
 瑠璃のことばに流は思わず声を上げた。
「いーだろ? ちょっと挨拶したいんだって。長くはいられないと思うけど」
「ああ、うん、わかった」
 流はそう言いつつ立ちあがって下着と衣服を急いで身に着けた。その間に瑠璃が乱れた布団を整え、奥へと押しやる。そして振り返ると、不意に言った。
「敦也」
「?」
「うちの本名。よかったらそっちで呼んで」
 瑠璃が言い終わった瞬間に部屋の扉が控えめにノックされた。
「菊野さんっ?」
 敦也は目にも止まらぬ速さで扉のところに飛んでゆき、引き戸を開けた。彼の向こうから姿をあらわした傾城は菊の花があしらわれた豪奢な仕掛けを身に纏って、同色のかんざしを挿していた。菊野は膝をつくと両手を身体の前で揃えてつき、頭を垂れて丁寧にお辞儀をすると、口を開いた。
「お初にお目にかかります、菊野と申します。本日は無理言ってお邪魔してしまい、申し訳ございません」
「い、いいよ……あの、顔、上げて、入ったら?」
 いまだ平伏同然の格好の相手に少々気後れしつつそう提案すると、菊野はようやく面を上げた。その相貌を見て流が初めに思ったことは、人相が良い、ということだった。造形的には好みではなかったが――流に言わせれば、彼の顔の輪郭は少々鋭すぎた――、穏やかな表情や、リラックスした目元・口元、シワの片鱗さえない眉間と、そことは対照的に笑いじわの兆候がみられる目尻が、彼の世界や人生に対する考え方・態度を教えてくれていた。彼はほとんどひとや世の中を恨んだり憎んだりすることがないに違いない、と思った。
 菊野は、敦也と同じように間近で流を見ても眉ひとつ動かさなかった。流は密かに、彼が相手の容姿に頓着しない――もしくは何か思ったとしても顔に出さないようにする――タイプなのだろう、と思った。
「それでは、失礼させて頂きます」
 菊野は、こちらが望むだけの理解と信頼と共感を示すような微笑を浮かべて中に足を踏み入れると、後ろ手で器用に襖を閉じた。そして流の方にやってきて、そばに腰を下ろした。敦也は彼のそばにピッタリくっついて座り、先輩の横顔を食い入るように見つめていた。
 菊野は特に気にするようすもなく――というより気付いていないだけなのかもしれないが――流に話を振った。ビロードのようになめらかで、少し鼻にかかった魅惑的な声で。
「いつも瑠璃がお世話になっております。おやさしく、男っぷりのよい方だと常々伺っておりましたが、本当に男前でいらっしゃって驚きました」
「思ってないでしょ?」
 流が笑ってつっ込むと、菊野は笑みを崩さずに答えた。
「本心ですよ」
「ウソだなー。君、リアクション無かったもん、おれ見たとき」
「顔に出ないタイプなんです」
「ほんと?」
 流が冗談混じりに追及すると、ここで敦也が口を開いた。
「ウソついてるよ。菊野さん、美醜オンチだから」
 彼のことばに、菊野は余計なことを、と言わんばかりの表情で敦也を見たが否定はしなかった。
「すみません、正直わからないですね。でも、旦那さまはウチの子たちの間ではアイドル同然ですよ」
「本当にわからないの?」
 敦也の言っていることが信じられずに思わずそう聞くと、菊野は苦笑した。
「たいした違いはないと思うんですがね」
 その美貌をもって政財界の重鎮から大財閥の幹部、果ては役者やスポーツ選手に至るまで、ありとあらゆる分野で成功した男たちを籠絡してきたとウワサの相手は、こともなげにそう言った。
「変わってるね」
「だろ?―――けどだからってウワキすんなよ? このひと、スキあらば他人(ヒト)の客盗ろうとするんだから」
 それまで菊野にひっついていたのに急に自分の方にやってきて擦り寄る敦也を可愛く思いながら、流は笑って頷いた。
「そんなワケないよ」
 すると菊野はプライドを傷付けられたのか、表情を曇らせた。そこで流は慌ててフォローを入れた。
「菊野さんがどうとか、決してそんなことでは……でもこの子に惚れてしまってまして――」
 菊野はそれ以上追及しなかった。
「……そうですか。―――絵描きさんなのですよね。失礼ながら瑠璃に頂いた絵ハガキを拝見させて頂きまして……ぜひお会いしたいと思った次第で……突然すみません」
「いやいや、そんな大層なものでは………ただちょっと趣味でやってるだけで」
「水彩がご専門で?」
「まァひと通りはかじったんですが、一番しっくりきたのがそれでして。やたら色を使いすぎるって言われ続けてきたんですけどね」
 すると菊野は首を振った。
「とても……美しかったです。旦那さまの描いたあの川は何度も歩いたはずなのに、まったく別の場所のように見えました」
「フフッ、写実画のテストはいつも赤点ギリギリだったからね」
 菊野は、およそ大見世の看板傾城に似つかわしくない、打算も計算もない真っすぐな目をキラキラ輝かせて流を見た。
「他の絵も見せて頂けませんか?」
「見せるほどのモノでは……」
 謙遜でも何でもなく、思ったままに言ったが、菊野は引かなかった。
「お願いします、小さなモノだけでも」
「………わかった。でもあまり期待しないで」
「ありがとうございますっ!」
 菊野は花咲くような笑みを浮かべ、流に抱きつかんばかりに身を乗り出した。完璧な二枚目の顔がそれで崩れ、それまで相手が身に纏っていた鋭利な雰囲気が完全に消えた。
 なるほど、この落差に心くすぐられない人間はあまりいないだろうな、と冷静に分析しつつ、流は聞いた。
「絵に興味がおありとか?」
「えぇ。絵心はまったく無いんですがね」
「そう? 器用そうに見えるけどなぁ……誰が好き?」
 そのとき、敦也が会話に割り込んできた。
「菊野さん、そろそろ戻ったら? 何人も待たせてるんだろ?」
 そのことばに、菊野は少し驚いたようにハッと敦也の方を見た。そして、申し訳なさそうな表情になって、そうだな、と呟くように言うと立ち上がった。
「すみません、そろそろ行かなくては……。今日はお会いできてうれしかったです」
「あぁ、うん」
 流はそこで敦也が目で合図を送ってきていることに気付き、慌てて言い足した。
「ふたりとも木曜日が休みなんだよね?」
 それは最近敦也から聞いて知ったことだった。菊野がええ、と頷いたので、流は続けた。
「あのさ、もしよかったら今度うちに来ないかい? 持ってこれないサイズの絵とか、あるし……自慢できるほどのものでもないけど数だけはあるんだ」
 戸惑ったように敦也と流を交互に見て事態を把握しようとしている菊野に、敦也がさらに詳しく説明した。
「旦那がぜひにって誘ってくれたんです」
「……オッケーもらえた?」
 敦也は顎を引いた。
「マブになるから」
 そのことばに、菊野は一瞬驚いたように目を見開いて敦也を探るように見た。そして何か言いかけたが結局口を閉じたので、流は言った。
「再来週とかどうかな? で、もしよければ紅葉狩りにも行かない? 家のすぐ裏が山なんだよ」
「そうですね………確認してみます」
 案の定、相手は即答しなかった。
「そっか。じゃあまた追ってということで」
「えぇ。すみません」
「そんな、謝らないで。きっと忙しいだろうけど、よかったらまた顔見せてくれると嬉しいな」
 流は一瞬浮かべた複雑そうな表情を消し、愛想笑いを再び浮かべた相手にそう言った。菊野は、チラッと敦也に目をやってから深々とお辞儀をして、座敷から退室した。
流が即座に無表情に戻った敦也に目を戻すと、相手がボソリと言った。
「相変わらず鋭いのなー……これだから……」
「鋭い……?」
 流が聞き返すと、敦也は首を振って、何でもない、と会話を打ち止めにした。

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