白銀楼物語 スピンオフ (更新中)

偽悪のススメ 前編

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 秋二が、新しく彼の世話係となった傾城――天野信――と、彼と犬猿の仲と言われる、お職争いの相手、一樹とが写った写真を発見したのは、部屋を変わって間もない頃だった。信の居室の奥のタンスの上に飾られた写真立ての額の中で、まだ少年期の尾を引きずっている面立ちの彼らは、もうひとりの若者――紅妃という、色子の中でも最も体格の良い部類に入る、男娼というよりは〝武士″といった風情の人物――と共に、山道を背に幸せそうに笑っていた。鉄仮面と言われているあの(・・)紅妃さえ微笑みを浮かべ、中央で両脇ふたりの肩に腕を回して満面の笑みでピースサインを作っている一樹の横にいる。信も言わずもがな笑顔だった。
 秋二はその写真を見たとき、顔を合わせれば口論が始まるらしいふたりの間にいったい何があったのだろう、と思った。ふたりの仲は表面上だけ取り繕われたにすぎぬもので、本当に親しかったことなど一度もなかった、と大半のひとは主張していたが、秋二にはそれが信じられなかったからだ。写真の中のふたりの笑顔は嘘には見えなかった。それに、口論ばかりしているとはいえ、ふたりは何だかんだ言って一緒にいるのだ。心底嫌っていたらそもそも近付く訳がないと思った。
 それでさりげなく注意して周囲の会話にアンテナを張っていると、すぐに情報のカケラがひっかかった。それは食堂でいつも通り遅めの昼食を摂っていたときのことだった。
「―――今月はどっちかねー」
 偶然となりのテーブルについた傾城たちが、件のふたりについて話し始めたのだ。彼らと秋二たちが座っているテーブルは食堂でも奥の壁際にあった上、周囲のテーブルに誰もいなかったため、彼らは普通の声で喋っていた。ふたりずつ向かい合う形の四人掛けのテーブルなため、秋二たちの存在に気付いていないはずはないが、禿だからとたいして注意を払っていないようだった。
 彼らに背を向けて座っていた秋二は耳を澄まして会話を拾った。
「椿じゃない? 紋日の日も菊野より多く登楼てたし、いつづけも続けざまに何人かいたから」
 椿、というのは件の一樹の源氏名だったが、秋二はまだ一度も信が彼をそのように呼んだのを聞いたことがなかった。
「でも、菊野も休日出勤とかしてたじゃん。泊まりも多かったよ。月の初めなんて週三日とかザラだった。あーでも、小岩さまの支払いだいぶ拒んでたらしいからやっぱ椿か」
 そう言った人物の声には聞き覚えがあった。かつて傾城の紫蘭についていたとき、彼の部屋をよく訪れていた傾城だ。確か名前を――疑いようもなく源氏名だが――初音といった。
 初音のことばに、知らない傾城が返す。
「小岩さまって実は菊野のマブなんじゃないの? 表向きはいないことになってるけど………」
「実はおれもだいぶ前からそう思ってた……身揚がりする回数が尋常じゃないもんな」
「だったらもう認めちゃえばいいのにね」
「でもま、〝皆のアイドル″で売ってるからムリなんじゃない?」
 イヤな言い方だった。明らかに悪意という毒を含んだ、ドロッとした声音。
「うまくやってるよねー。清純派っての?いつもニコニコしてて、優しくて、懐深くて、謙虚で、客を立てる―――天使だな」
「で美人でベッドでも最高ときた―――おれらが叶うワケねー。正直スゲー目障り。ああいう偽善者って生理的にムリなんだよね」
 ざらっとした声―――たぶん酒かタバコのやりすぎだ―――の人物が言うと、もうひとりが同意した。
「わかる。椿もカワイソーだよな」
「うんうん。あンときはマジビビったね。昼も夜も気持ち悪いくらいベッタリだった相手に向かって牙剥くんだから。血も涙もねー」
「腹ン中に一物どころか真っ黒だな。アイツと仲良くしてる子の気が知れない……」
「椿も心広いよな、あんなことされても手も上げずにさ………おれだったら拳で殴ってるね。寝込んでる間に客盗られたら」
 秋二を含め、信の部屋付きの禿たちが凍りつく。普段感情の起伏のあまりない敦也でさえ目を見開いて傾城たちを凝視していた。
―――信が、椿の客を、盗った?………それも寝首を掻くようなマネをして―――?
 衝撃を受けて固まっている四人に気付くようすもなく、となりのテーブルの面々は話を続けた。
「実際、菊野が今お職獲れてるのって、椿のおかげみたいなもんじゃん。あいつ、全然売れてなかったんだから。そのことでお礼言うならまだしも会うたびケンカ吹っかけて………最低。客も何であんなのに引っかかるかな」
「そーゆートコカンペキに隠してるからだろ。ホントうぜーわ。だからこのあいだ化粧道具隠してやったらさあ、―――」
 そこまで聞いて、秋二は耐えきれずに盛大な音を立ててイスから立ち上がった。そして振り向いて聞いた。
「それ、本当の話ですか?」
 友人たちがあわあわと身ぶり手ぶりでやめるよう懇願してくるのを無視し、秋二は三人の傾城を見下ろした。ひとりは思った通り紫蘭と親しい初音、あとのふたりは、顔は知っているが名前は知らない相手だった。
 彼らは秋二たちが信の部屋付きの禿だったとわかっても動じなかった。
「信さんが、椿さんの客盗ったって、話……」
 すると、傾城のうちのひとり――名前を知らない傾城のうち、ネコみたいな顔立ちの方――が嫌な笑みを浮かべて頷いた。
「知らなかったのか?結構有名だぞ。二年半くらい前だったかな、椿が体調崩して休んだ日があったんだよ。菊野が椿の客に手エ出したのはそのときだ。……いや、手エ出した、というより盗ったって言った方がより正確だな。なんせそれをきっかけにして椿の客の半分近くを自分の馴染みにしちまったんだから……必死だったぜ、椿が復帰したあとも名代にまで入って客の気惹いて……」
「まさか………」
「ウソだと思うなら他の色子に聞いてみな?………お前、立花だっけ?最近入ってきた」
 秋二は信じられない気持ちで頷いた。
「気を付けた方がいーぜ。最初やさしくしておいて相手を懐柔して、後で掌返すってのがあいつの常套手段だからな」
 そう忠告してくる相手―――向かって左側、こちらを向いて座っている傾城―――に、秋二は絞り出すように反駁した。
「そういうひとには、見えないけど………」
「偽善と偽悪、どちらがより性質が悪いか、わかるか?―――偽善だよ」
 そう言い切った相手に、秋二は絶句し、力なくイスに崩れ落ちた。そして仲間たちと顔を見合わせる。皆、ショックでことばが出てこないようだった。
 四人はその後、黙って昼食を済ませ、居室に戻った。

 その日、初音たちの話が、嫉妬からくるでっち上げだと信じたかった秋二たち四人―――信の部屋つきの、ほとんど同期の禿である夏樹、伊織、敦也と秋二―――は事の真相を確かめるために廓中の人間に聞いて回った。そして残念ながら、初音たちの話が本当だったことを知った。
何か、ガッカリだね――――。
 調査と仕事を終えて戻ってきた部屋で開口一番呟いた夏樹のそのことばが、四人の失望を代弁していた。
 秋二は布団を敷いて寝る準備をしながら、しかし最後に本人に確かめるべきだな、と思った。当事者しか知り得ない事情があったのかもしれないからだ。当人に事実確認をせず、第三者からの情報だけで相手を判断するのはあまり賢い行為ではない。
 秋二は布団を敷き終えると大部屋を出て、信の部屋へと向かった。
 傾城の夜は遅い。まだ帰っていない可能性もあった。しかしそのときは待っていればいい、と自分に言い聞かせ、五階北側の角部屋の前まで歩いてゆき、扉をノックした。相手はやはりいなかった。秋二は廊下に座り込み、あぐらをかいて壁に背をつけた。
 しばらく待っても来なかったら明日聞こう、と決めてきょろきょろあたりを見回す。まだ信の部屋付きになってから一週間も経っていなかったが、前についていた傾城、紫蘭と同じく最上位の〝呼び出し″で部屋がごく近くにあったため、初めての場所ではなかった。
 木製の引き戸の横にかけられた木のネームプレートには源氏名だけが書かれている。こうやって本名を奪われて、人間性を剥奪されてゆくのだろうか、と思いながら部屋の前の壁に目を移すと、そこには後方に山を抱く菜の花畑の絵が飾られていた。広がる空は快晴で、山々の稜線がくっきり見えている。陽の光を浴びた花々は光り輝き、その生を謳歌しているかのようだった。
 秋二は唐突に、その花になりたくなった。こんなに憂いなき、明るい世界で生きられるのなら、頭脳も、足も、長い寿命もいらない。ただ養分を吸い上げる根と、茎と、光合成のための葉緑体と、花弁さえあればそれでいい―――そう思った。
人間の世界なんてロクなモンじゃないのだ。ヒトなんて、知性と、この世界の支配権と引き換えに、いつも争い、傷付け合わねばならぬ宿命を負わされた呪われた種族でしかない。騙し、妬み、ウソをつき、搾取し、貶め、軽侮し、支配しようとすることをやめない、もっとも賢く、もっとも愚かな生物―――自分はそんなモノに生まれてきてしまって、そのコミュニティでこの先一生生きてゆかねばならないのだ………。
 秋二はため息をつき、首を振った。どうやら初音たちの毒気に中てられたらしい。悪い方に考えないようにしなければ、と思ったそのとき、正面の階段を誰かが上がってきた。信だった。彼は秋二のそばまで静かな足取りで近付いてくると、聞いた。
「茶でも飲んでいくか?」
 やわらかい、少し鼻にかかった甘い声だった。
「うん」
 秋二は頷き、相手をさりげなく観察した。シャワーを浴びてきたらしく、いつもアップにしている背中までの栗色の髪を下ろし、ほのかにシャンプーの香りを漂わせている。彼は灰青色のうっすら縦じまの入ったパジャマ姿だった。色気も素っ気もない格好で、襟元があいているわけでもないのに、ふと、相手に触れたい、と思った自分に秋二はハッとした。
 今いったい自分は何を考えたのか―――? 答えはひとつしかないように思われた。
 信が近づいてきてカギを開け、扉を開く。化粧をまったくしていないのに妙に色づいた頬や唇が間近に迫り、心臓がドクリ、と脈打つ。直前まで何をしていたのか知っているから余計相手が色っぽく見えるのかもしれなかった。
 秋二は信に続いて彼の居室に入った。相手が電気をつけると、図書館みたいな十五畳ほどの空間が露わになる。向かって左の壁際にあるテレビ台と液晶テレビがある空間はほとんど秋二ら禿たちのスペースになっていた。信が歴代の自分の部屋付きの見習いたちのために買ったらしい中古のゲーム機は、テレビ台の中に収まっている。それより右手、部屋の中央付近には木のこたつテーブルが、右側の壁に沿うようにして三列・三段の本棚が三つ、そして一番奥、窓側に例の写真が載っているタンスが鎮座間していた。高価そうなその桐タンスと、しっかりした造りの木の本棚はおそらく客から贈られたものだろう、と思った。
「手伝う」
 茶の支度にかかった相手にそう申し出てみたが、いつも通り座るよう促され、秋二はテーブルの左側に腰を下ろした。そうして待っていると、やがて芳醇な香りが漂ってきて、まもなく湯呑みを差し出された。髪はいつの間にかうしろでひとつに括られている。
「結んじゃったんだ………」
「ん?」
 こちらに背を向け、茶うけが入った缶を引っ張り出していた信が振り返った。
「髪………おろしてるの、似合うのに……」
「ああ、髪の毛のことか。うっとおしいからな。秋二も結構伸びてきたな」
 このひとは、自分を本名で呼んでくれる。〝仕事″のために与えられた忌々しい源氏名などでではなく―――。
「うん。その髪の色、地毛?」
「いや。染めてる」
「あ、そーなんだ。元々かと思ってた」
 すると少し疲れたような笑みを浮かべながら信は缶をテーブルの上に置き、秋二の斜め前に座った。
「こちらの方が評判が良いんだ」
「フーン……黒も似合うと思うけど」
「秋二は染めてなくてその色か?」
 茶で満たされた湯呑みに息を吹きかけつつ、信が問う。秋二は頷いた。
「おれ、クォーターだからさ。じーちゃんアメリカ人」
「なるほど。それで目力があるのか」
 信は納得したように頷いて、茶をすすった。
「あー、まあ、目が印象的だとは良く言われる………わー美味い。ありがとー」
 秋二が我知らず笑みを浮かべながらそう言うと、信は一瞬目を見開いて固まった。そしてそののち、口元にこれまで以上の笑みを刻んで、それは良かった、と言った。
 秋二は本題に入るのをためらった。やはりこうして話していると、とても初音たちの言うような卑劣な人間には見えないのだ。賢くて、我慢強くて、穏やかで、ウィットに富んでいる先輩―――この一週間弱行動を共にして来て受けた印象はそれだった。これでもし演じているのだとしたら、傾城とは何と恐ろしいものであろうか、と秋二は思った。
「何か、聞きたいこと、あるんじゃないのか?」
「えっ?」
「フフッ、君たちが私のことを聞いて回っていたと聞いた」
「知って………?」
「何年ここにいると?―――これでも結構情報通の友人がいるんでね」
「………じゃあ、言うまでもないじゃん。わかってんだろ、何聞きたいか」
「一樹との関係か?」
「うん………アンタが一樹さんの客盗ったって……弱味に付け込んだって……皆言ってた……」
「事実かどうかと聞かれれば、事実だとしか答えようがないな」
「っ!? 認めるのかっ?」
 秋二は思わず叫び声を上げた。
「しっ……近所迷惑になる」
「何でンなことっ!?………何か、事情があったんだろっ!?」
「まあ」
 信は少し疲れたように肩を揉みこんだ。揃った睫毛が伏せられ、その陰影が目元を暗くする。
美しかった。
「理由はっ!?」
「だから、もう少し声量を落として。………一樹と私は同期だった。入楼の日まで同じだったんだ。歳も、ついた傾城も同じで、同じように引っ込みだった。いずれ研を競うようになるはずだった。―――それなのに、フタを開けてみれば売れたのは一樹だけ………悔しかったんだ。一樹は私より社交的で、客あしらいもうまく、綺麗で、その上廓の皆の人気者だったから………耐えられなかった。それで、客を盗った。寝所に連れ込んでしまえば私の方に分があるとわかっていたからな。せいせいした」
「………そんなっ……! ウソ、だろっ? 冗談、だよなっ?」
「弱味を見せたのはあちらの落ち度だ。私は、傾城として当たり前のことをしたまで」
「………アンタッ、最低だッ!」
 秋二は目の前の人物に心底嫌悪感を感じながら叫んだ。
「一緒に、がんばってきたんだろっ?親友だったんだろっ?……そういう相手に対して、何でそんなコトできんだよっ!」
「……それは、君も傾城になって毎月売り上げ高を発表されるようになればわかる」
「ッ……! アンタントコになんか、くるんじゃなかった!」
 ついに立ち上がって拳を握りしめながら相手をねめつけたが、涼しい顔で一蹴された。
「津田さんのところにはもう戻れないと思うぞ? 他の傾城もあいにく手一杯で空きはない。しばらくは私で我慢するんだな」
「絶対っ、出てってやるッ………!」
「安心しろ、私の〝テク″は天下一品と言われている。寝所での立ち居振る舞いだけは、どこの部屋よりも学べるぞ」
「最低野郎っ! くたばれっ!!」
 秋二はもはや我慢できずに悪態をつき、信の居室から飛び出した。勝手に目の奥が熱くなる。泣くまいと歯を食いしばりながら廊下を駆け抜け、階段を駆け降りると自分の居室に飛び込んだ。そして寝入っている同胞を起こさぬ配慮をする余裕もなく自分の布団へと倒れ込む。となりに横臥していた伊織がそれで目を覚ましたらしく、身体をもぞもぞさせて、眠そうな声で言った。
「もうちょっと静かに入って来いよ………建物中の人間起こす気か?」
「最低だっ!………アイツは、最低最悪のクズだったっ……!」
「誰のこと言ってんの? てかどこ行ってたの?」
「天野だよっ!」
「え、信さんトコ行ってたの?」
 起き出してきた夏樹が向かい側の布団から顔を出す。
「ああ!真偽を確かめにな! で、何て言ったと思う!?」
「秋二、もうちょっと静かに喋れ。皆起きちまう」
 伊織の最もな忠告も、秋二の耳には入らなかった。
「アイツッ、アイツッ!〝相手が自分より売れたのが気に食わなくて盗った。弱味を見せた相手が悪い。自分は悪いことしてない″とかぬかしやがった! いい気味だって、笑ってたっ!」
「あちゃー」
「マジで?」
 もはや居室の中の禿たちのほとんどが起きていた。そんな中で敦也だけが我関せずとばかりにすやすやと寝息を立てている。
「……っあんなヤツだとは思わなかったっ……! 仲間を平気で裏切れるようなヤツだったなんてっ……!」
 秋二の大声に、室内がざわめきだす。皆口々に今耳にしたことについて、信と一樹の確執についてことばを交わし合う。かくして、翌日には、廓内のほとんどの者が、信が一樹を裏切った〝本当の″理由について知ることとなったのだった。

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