白銀楼物語 スピンオフ (更新中)

Parallel Lines 〝仲間″

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 憤然と居住区へ向かって歩く信にやっとこさ追いついた一樹は、小走りをして上がった息を整えつつ、横に並んだ。ふたりはそのまま無言で廊下を突きあたると、居住区へとつながる扉を開けた。そして、右手のテレビなどがある休憩スペースのソファにドカッと腰かけると、同時に息をついた。この、番付上位の者のみが使用を許可された五階の憩いの場を使う権利を、一樹はつい最近の部屋替えで獲得していた。
「ハァ~、久々に菊ちゃんが怒ってるの見たわ。まぁよく言った。言いたいこと全部言ってくれた」
「少し頭に血が昇った……あんなふうに挑発すべきでないことはわかっていたのだが……」
「いやいや、よかったと思うよ。ああいう図に乗ってるタイプにはちょっと強めに言った方が往々にして効くんだよ」
「そうかな……章介がとばっちりを受けていないか心配だ……何か飲むか?」
 立ち上がってドリンクバーの方に移動しつつふり返って聞いてきた信に、一樹は答えた。
「何か甘いのちょうだい。オレンジジュースかな」
 信は頷いてそばに伏せてあったグラスを二つ手に取り、ジュースを注いだ。戻ってきて飲み物を手渡してくる相手を見て一樹は言った。
「信もジュース? 珍しい」
 普段節制してジュースや炭酸類を摂らない相手にしてはめずらしいと思い、そう聞くと、信は頷いた。
「今日は疲れた……」
「な。精神的に疲れたよな。もうアイツ来ないで欲しいわ。あー、今日も働いた働いた」
 ジュースを飲んでひと息ついていると、信が心配そうな表情のまま言った。
「明日から無視されたりしないよな?」
「どうかなー? でもまーされてもガンガン話しかけにいくけどな」
 そこで初めて相手は表情を緩めた。
「言うと思った」
 そして続けて何かを言おうとしたそのとき、居住区と本部屋や座敷のあるスペースとを区切るドアが開く音がした。眠そうな顔で戻ってきたのは、ふたりの期待に反して章介ではなく、二歳年上の傾城である津田秀隆だった。入楼当初から何かと信に因縁をつけてくる相手だったため、以前は目の敵にしていたが、最近は大人しくなっていたので、相手の顔を見てもさほど拒絶反応は出なかった。
「お疲れさまっす」
「あーお疲れ。お揃いで。何、今日はもう上がり?」
 一樹と信が頷くと、津田は羨ましそうにこちらを見た。
「いいなぁ。おれまだなんだよ。ちょっと抜けてきただけ」
 すると信は即座に言った。
「何か飲みます?」
「頼む。ちょっと酔い醒まさないとヤバイ」
 言われてみれば確かに、酒豪のはずの津田の頬が赤らんでいた。
「相手はどなたですか?」
「日銀のヤツ。アルハラさえなきゃいい客なんだけどなぁ」
「あぁ、その方のとき、よく酔ってますよね」
 信が同じくオレンジジュースを注いで相手に手渡しつつ相槌を打つと、津田はそれを受けとりながら頷いた。
「そうそう。ちょっとやそっとじゃ回んねえんだけど、アイツエグイ飲み方させるからさぁ。ブランデーイッキとかさせてくるんだぜ? 外界(そと)でやったら訴えられてもおかしくねえよな。日本の経済下支えしてるヤツがこんなんだから参っちゃうよ」
 律儀に頷く信から視線を外した津田は、一樹を見た。
「あれっ、そういやお前らって今日もしかして一緒だった? 何かしばらく噂になってたよな?」
「えーっと、ハイ」
「まぁ別にいいよな、付き合ってんだから」
 相手は盛大に勘違いをしていたが、酔っ払い相手に訂正するのが面倒だった一樹は否定しなかった。
「まあ、そうっすね」
「あれ? でも紅妃も一緒だとか言ってたような……? じゃあよくないか?」
「途中で抜けてきたんでだいじょうぶです」
「あぁ、それは賢い。男同士で……ましてや傾城同士で痴情のもつれなんて痛々しいし、その上危険だからなぁ……前にいたんだよ、それで他に飛ばされたひとがさ」
「そうだったんですか?」
 聞いたことがない話に、一樹は俄然相手の話を聞く気になった。
「あれ、珠生さんとかから聞いてない? 結構有名な話なんだけど、昔、七年近くもお職を張って一時代を築いたひとがいたんだよ。翡翠さんって、名前くらいは聞いたことあるだろ?」
「あ、〝百年に一人の美妓″、でしたっけ?」
 一樹のことばに、津田はジュースを一口飲んでから顎を引いた。
「おれも直接会ったことはないんだけど、彼の禿だった蓮花さんってひとに結構可愛がってもらっててさ。そのときに聞いたんだよ。どうも翡翠さんを取り合ってふたりの傾城が相当モメたらしくてね、結局翡翠さん以外河岸に飛ばされちゃったらしいんだよ。で、うちひとりの、どうも彼の本命だったっぽいひとがその後わりとすぐ病気で亡くなっちゃって……以来翡翠さんが笑ったのを誰も見ていないらしい」
「それは、何というか、お気の毒に……」
 一樹は衝撃を受けてそういうありきたりなことばしか思いつかなかった。信も同様にことばを失っていた。
「当然身請け話は山とあったらしいけど、結局自力で門をくぐることを選んだんだって。ま、これを他山の石として、お前たちも気を付けるんだな。白銀楼(ウチ)は恋愛禁止ではないけれど、〝恋愛して問題を起こすことは禁止″なんだよ」
「……気を付けます」
「素直でよろしい。じゃあおれそろそろ行くわ」
 そう言っていつもよりだいぶ陽気な津田は腰を上げ、本部屋へ戻っていった。その場に残された一樹は信と顔を見合わせ、言った。
「信、知ってたか?」
「いや。名前は知っていたが、そんなことがあったとは知らなかった」
「何かヤバイ話聞いちゃったな。翡翠さんってひと、相当性格キツかったらしいけど、そんなことがあったんなら納得できるよな」
「彼はたぶん、好きなひとを失うのと同時に仲間も失ってしまったんだろうな。笑えなくなるなんて、普通じゃない……辛かっただろうな……」
 まるで自分のことのように苦しげな表情をする信に、やっぱり敵わないな、と思いながら一樹は立ち上がった。
「さ、戻って着替えようぜ。風呂は?」
「今日はシャワーで済ませるよ。一樹は行くのか?」
 一樹は首を振って使ったグラスを返却台に置き、歩き出した。
「おれもシャワー」
「じゃあ終わったら行くよ」
「はいよ」
 一樹は了解の意を示して信の二つとなりの自室に入りつつ、こういうことをしているからヘンな誤解を招くんだろうな、と思った。しかしもはや今更だったので、断る気も起きなかった。そして、信が先ほど口にした〝仲間″という単語が妙に頭に残っていることに気付き、寝支度を整えつつそのことについて考えた。
 〝弱さも脆さも曝け出せるのが仲間″だとかつて章介は言った。〝弱っているときに助けを求めることこそが信頼の証左である″とも。一樹はその意味をこれまで真剣に考えてみたことがなかった自分にこのとき気付いた。何となく、頼れる友達=仲間、のようなイメージでざっくりととらえていたのだ。しかし、先ほどの津田の衝撃的な話を聞いて信が翡翠は〝仲間を失ったから絶望したのだろう″というような解釈をしたときに、かつて章介が言いたかったことがやっと少し理解できた気がした。
 たぶん章介は〝仲間″ということばを、一樹が考えているのよりもずっと重い意味で使っていたのに違いない。外界(そと)での友達のような、楽しい時間だけを共有する、浅く、便利な関係性ではなく――長らく一樹は〝仲間″とか〝友達″をこういうものとしてしか捉えていなかった――、苦しいときこそ互いに寄り添い合うことができ、自分のアキレス腱を曝け出しあうことのできるような、もっと深い関係を指していたのに違いなかった。
 そしてたぶん、一樹の身体と精神を守ることにすべてを懸けている信も、〝仲間″をそう規定している。なるほど、齟齬が生まれるわけだな、と思いながら一樹はそれに自分が応えられるかどうか、応えられているかどうかについて考えた。そして、同じだけの思いはどうも返すことができそうにない、ということを悟った。
 一樹にとって友達は友達であり、それ以上でも以下でもない。愛するひとのためならともかく、同性の、家族でもない相手にすべてを捧げられるとは思わなかった。もし信と逆の立場にいたら、自分を犠牲にしてまで相手の穴を埋めたとは思えないし、その他、彼が自分に図ってくれるように便宜を図ろうともしなかったに違いなかった。
 薄情だと思われても、簡単に自分を変えられるとは思わなかった。正直、何かと心配してああしろこうしろ言ってくる存在を疎ましく感じたことがなかったといったらウソになる。信が夜に様子を見に来るのも、最初のうちはありがた迷惑でしかなかった。
 たぶん、相手も一樹のそういう考えを察している。でも何も言わなかったし、距離も置かなかった。きっと信にとっては相手の反応はたいして大きな問題ではないのだ、と思いつつ、一樹は自室に備え付けられているシャワーで汗を流してジャージに着替え、布団を二組敷くためにテーブルを移動させ始めた。
 たぶん、信は感謝されたり、見返りがもらえるからやっているわけではないのだ。彼は相手の行動如何に関わらず、ただ自分が、善く、正しいと思ったことをしているのだ。それが仏とかキリストとかあだ名されている所以なのだ、と一樹はこのとき強く確信した。そして、そういう相手に、この先もきっと自分が甘え続けてしまうであろうことも。
「一樹? 上がった?」
 ノックの音がする。さあ、キリストが来たぞ、と思いつつ、一樹は返事をした。
「入って。もう、ノックしなくていいって何回も言ってるだろ?」
 枕を小脇に抱えてパジャマ姿で部屋に足を踏み入れた信に言いつつ、テーブルの移動を手伝わせると、相手は生真面目に答えた。
「親しき中にも礼儀あり、だ。一樹も他の部屋に入るときにはノックするように」
「えー、何年付き合ってると思ってんの? まだいる? もうよくない?」
 もう五年か、と思いながら軽口をたたきながらローテーブルを部屋の隅によけて布団を敷きにかかる。
「家族でも、他のひとの部屋に入るときはノックするだろう?」
「いやしないって。フツーに入る。あーそっか、信、お坊ちゃんだもんなぁ」
「そんなことない」
「おれは一生忘れないぜぇ、信が三年もバイオリン弾けるってこと隠してたのを! 折に触れては蒸し返してネチネチ言ってやる」
 信は申し訳なさそうな表情になって謝った。
「それは悪かった……特別言うほどのことでもないかと思って」
「その考えが既に坊ちゃんなんだよなぁ。バイオリン弾けるなんて、〝言うほどのこと″以外の何でもねーよ、おれたち一般庶民にとっては。父親が大学教授なんてフツーねーから」
「うん……」
 ムキになって言い返してこないあたりも品が良かった。小中高と公立だった一樹の周りにはこれまでいなかったタイプだ。
 一樹は仕上げに掛け布団を双方の敷布団の上に放り投げ、そのうち右側の方にダイブしてから言った。
「なあ、いつピアノ弾いてくれんの? 前々から頼んでるだろ」
「ピアノはヘタなんだ。聴かせられるのなんてない」
「信の〝ヘタ″は一般人の〝かなりうまい″に相当するとおれは踏んでるね。だいたいうまいやつは謙遜するんだよ。で自信満々なやつほどヘタ」
「さ、もう寝よう」
 信はそう言って紐を引いて電気を消した。常夜灯の暖かな色の光だけが部屋をほの赤くてらし出していた。
「あっ、無視したっ! コラ信、そういう態度はなあ」
「おやすみ」
「このっ! ゴマかすなって前々からっ……!」
 一樹は信に飛びかかって脇腹をくすぐった。
「ちょっと一樹っ! やめろってっ……!」
「やーめない。ピアノ弾いてくれるって約束するまでやってやるっ。ビンカン肌の菊ちゃんには辛いでしょー?」
「手ェ放せってっ……! 一樹っ! 階下(した)からまた苦情くるからっ!」
「弾いてくれる?」
「………」
「ホラホラホラ~、これでどうだっ! 弾くかっ?」
「くっ……フフッ、やめっ………ひっ、わかった、弾く、弾くからっ」
「来週の月曜の午後一時頃に弾いてくれる?」
「小竹さんにっ、聞いてからなっ……ひひっ、もうっ約束しただろっ、ははっ、だからもうっ……」
「よーし、よろしい。許して進ぜる」
 一樹は了承を取り付けたことをきっちり確認してから信を解放した。そして目を潤ませて荒い息をついている相手を見下ろしつつ、ため息をついた。
「あーあ、信が女の子だったらなぁ」
「何回言うんだ、それ」
「何回でも。マジで理想なんだよなー。性転換してちょっと身長縮めてくんない?」
「ツッコミどころはいろいろあるが、ひとつだけ言うとしたら、我々は長続きしないってことだな」
 息を整えつつ冷静に返す相手に一樹は唇をとがらせた。
「何でだよ? おれら気合うじゃん? おれ、彼女以外で特定の人間とこんなベタベタした付き合いしたの初めてなんだよ?」
「ベタベタって……まあその点に関しては認めるが、私は一樹の理想とは程遠いと思うぞ? 小言ばかり言うし、ノリもイマイチだし」
「細かいとこはいいんだよ、こう、海のようにふかーい懐で包み込んでくれれば。……でもまあやっぱりこれで良かったんだろうなあ。マジになっちゃってたら絶対面倒起こしてそうだし。そしたら最悪棲み替えプラス身体壊しちゃうとかだろ? 絶対ヤだもんな、そんな末路」
 すると信は真剣な顔になって頷いた。もう呼吸数は正常に戻っていた。
「翡翠さんたちの話は初めて聞いたけど、あまりに気の毒で聞いていられなかったよ。どんな気持ちで年季明けを待ったかと思うと……他人事じゃないな、と思った……一樹、」
「何だよ改まって?」
 すると信は珍しく口ごもってから、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「もし……もし、身請けとかでどちらかが先に出ていくことになっても、ずっと友達だからな?」
 この〝友達″は間違いなく深いところで繋がったひと同士――〝仲間″を指す〝友達″だった。
「何だよ、信、受ける予定でもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「え、じゃあ何で? おれも出てく気なんてないからたぶんまだしばらく一緒だと思うけど? いきなりヘンなフラグ立てないでよ」
 すると信は俯き、小さな声で言った。
「うん……それはわかってるけど、一応言っておきたくて……」
「わかったわかった。〝友達″。約束する」
 そう言って一樹が差し出した小指に自分のそれを絡め、信はうれしそうに頷いた。一樹はこれで満足してくれるならまあいいか、と思って手をゆらした。
「ゆーびきーりげんまん、うーそついたら、はーりせんぼん、のーます。ゆーびきった!」
 このときの一樹は知る由もなかった――仏みたいな友人が自分をこの牢獄から解き放つためにあらゆる手を尽くしていることを。
 時は2075年6月――一樹が信に足抜けさせられる三か月前のある夜のことだった。

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 Photo by NEO HIMEISM

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