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三銃士の誓いよ永遠に 第8章 信の決断

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 最初に一樹の部屋つきの禿が異変に気付いてからウワサが広まるまではすぐだった。章介は真っ先に疑われ、小竹のオフィスで尋問されたが、知らないものは答えようがなかった。次に呼ばれていたらしい信とオフィスの入り口ですれ違ったとき、相手の顔を見て、章介は、ああ、彼が手引きをしたのだ、と悟った。
 そしてその2日後に再びオフィスに呼び出された信はそのまま十日、帰らなかった。何が行われたかは明白だった―――折檻だ。
 しかしそのことは伏せられ、表向き、彼は昔負った傷が膿んで入院したことになっていた。
 帰ってきたとき、信はボロボロだった。顔以外のあらゆる部位を負傷し、丸2日はロクにものも食べられず、布団から起き上がることもできなかった。かなり強い薬を入れられたらしく、せん妄状態であらぬ場所を見ながら何かブツブツ呟いていた。
 章介は一度、帰って来た日に見舞いに行ったが、それ以降は行かなかった。勝手な行動をした友人にものすごく腹を立てていたからだ。
いったいどういう手を使ったのかはわからないが、一樹の足抜けは成功した。成功率が10%に満たないといわれる足抜けを、売れっ妓傾城が成功させたことで、廓全体が揺れた。傾城たちは、一樹にできるのなら自分もと浮き足だち、小竹や廓側の人間たちはそんな彼らに足抜けしようとした者、その手引きをした者は必ず河岸見世に払い下げると宣言し、更に傾城たちの定期的な所持品・身体検査と、当分の間の給料前借り禁止を言い渡した。
 小竹の怒りようといったらすさまじく、3日間、廓では1日1食、それもご飯とみそ汁とタクアンしか出ない始末だった。
 遣り手に負けず劣らず怒っていた章介は、信が病み上がりの身体を引きずって部屋にやってきても門前払いを食らわし続け、食堂などの共同スペースで会っても一切口をきかなかった。何度か接触を試みた相手も、しばらくすると章介が一向にガードを緩める気がないのを悟り、ほとぼりが冷めるのを待つことに決めたらしく、近付いてこなくなった。
 彼は折檻部屋から帰ってきてから1週間後に仕事に復帰したが、一樹が抜けた分の穴埋めのために以前よりも更に忙しくなっていた。この頃、章介の方も、やけに熱心に通ってくる馴染みを複数抱えていたため忙しく、顔を合わせる機会がほとんどなくなっていた。
 信のことが気にかからなかったわけではなかったが、それよりも裏切られたという思いの方が強く、怒りがなかなか収まらなかったため、章介は3か月間、相手を徹底的に無視した。彼は食堂や風呂で会うたび、こちらに請うような視線を向けてきたが、章介はそしらぬフリをしてそれを流した。新しく入ってきて、いろいろと騒ぎを起こしているウワサの問題児、相澤秋二や他の部屋付きたちや環と和気あいあいと会話する相手を横目に内心で毒を吐きながら過ごしていた。
 自分の部屋付きの見習いのうちのひとり、日角政春と将棋盤を挟んでいると、時折、かつてそこにいたはずの友人のことが思い出されたりすることもあったが、そういった心の声を意図的に抑圧し、信の存在を無かったことにしようとしていた。
 
 そういうふうに一気に他人同然になったふたりが再び近付くきっかけとなったのは、皮肉にも仕事上の席だった。馴染みのうちのひとりで、大学生にして既に自分の会社を持っている財閥の御曹司、佐竹瑞貴が余計な世話を焼いて信を座敷へと呼んだのである。信の方でも多忙を理由に断ればいいものを、スケジュールをわざわざ空けてやってきたので、結局席を共にするハメになってしまったのだった。
 畳に手をついて綺麗にお辞儀をし、入ってきた友人に、章介は眉をしかめた。
「さー、入って入って。ハイ、ココに座って」
 佐竹はわざわざ章介の隣に信を座らせた。人払いをした座敷内には3人のほかに誰もいなかった。
「呼んで頂きありがとうございます」
 信はバラ色の頬に笑みをたたえて再び頭を下げた。
「いやいや。こちらこそ来てもらってありがとね。忙しかったでしょ?」
「お噂はかねがね伺っております。起業されたとか」
「そーそー。親の金を資金にして通販会社始めたらコレが当たってさあ。海外でしか買えないクスリとか売ってる。あ、ヘンなクスリじゃないよ? ちゃんとした医療用のヤツ」
 佐竹はくりっとした目を信に向けて話した。
「何か欲しいのあったら言って? 融通できるから」
「じゃあ、アレがいいんじゃないか? キズ隠すやつ」
 章介が口を開くと、それまで佐竹に目を向けていた信がハッとこちらを見た。口の端を上げて続ける。
「コンシーラーだっけ? 日本のよりいいらしいぞ?」
「ああ………どんなカンジのキズ? 火傷? 種類によって使うヤツ違うから」
 何も知らずにそう聞く佐竹に、信は首を振った。
「いえ、だいじょうぶです」
「エンリョしなくていーよ?章ちゃんの大事なお友達なんだから。いつ頃できたヤツ? どのへん?」
「つい最近、だよな? 3か月くらい前だったか」
「本当に、だいじょうぶですから………ところで、紅妃とはお付き合いが長いのですよね?よくお話を伺っております」
「ホント?」
「ええ。大変お世話になっている方だと申しておりました。佐竹さまのことを話すときだけ、表情が少し違うのですよ」
 ウソ八百並べたてる信に、章介は眉をしかめた。一方で佐竹は満更でもなさそうなカオをしていた。
「へー。お世辞だとわかってても嬉しいなあ。………それにしても菊野さん、本当にキレーだなあ。ね、そう思わない?」
「顔のことはよくわからん。まあ、瑞貴が言うならそうなんじゃないか?」
「僕の顔とどっちが好み?」
 佐竹はほおづえをつくように顎に両手をあて、上目遣いで章介を見た。
「どちらかというと丸顔の方が好きだ」
 すると、佐竹は嬉しそうに笑った。
「へー」
「紅妃とはどういった出会い方をされたのですか?」
 章介の左隣に坐した友人が聞く。なぜかふたりに挟まれながら、章介は自分越しに交わされる会話を聞いていた。
「えーとね、初めて会ったのは2年半くらい前かな。大学1年のときだよ。うちの伯父がココ、接待とかでよく利用してたんだけど、社会勉強とかいって連れてこられたんだ。まだ未成年なのにね。佐竹司、聞いたことあるでしょ?」
「珠生のお客さまですね」
「あーそうそう、そんな名前のひとだった………スゴく気ぃ強そうなひと………で、そのとき名代に入ってたのが紅妃だったの。もー一目惚れしちゃってさあ。大学生で廓遊びなんて、褒められたことじゃないんだけどね、紅妃がカッコよすぎたからさあ」
「そうだったのですね。でも愛想ないでしょう?」
 そのことばにムッとして章介は信をにらんだ。相手は面白がるような表情でちらっとこちらを見てから佐竹に視線を戻した。
「ハハッ、確かに。お世辞とか言ってくれないしねー。でも、ソコが好きなの。正直なトコが」
「佐竹さまに目をかけて頂いて、紅妃は幸せ者ですね」
「どーかなー。もっと頻繁に来てくれるひとも、いるでしょ?」
「頻度じゃない、質だ。普通の人間関係だってそうだろう」
「うれしいこと言ってくれるじゃん!」
 横で信が笑う気配がして、章介は再びそちらに目をやった。相手はすべてを見通すような表情で―――章介が一番キライなカオだ―――彼を見て、ボソリと呟いた。
「うまくなったな」
 イラッとしたが、章介は何も言わなかった。口で勝てないのはとうの昔に知っていたからだ。
「ふたりも結構長いんだよね? 紅妃はあんまり話してくれないんだけど、いつ頃知り合ったの?」
 すると信が水を得た魚のようにイキイキと話し出した。
「それはですね、面白い話があるのですよ。初めて会ったのはお―――」
「ストップ」
 章介はそう言って信の口を手で塞いだ。
「えーなになに、気になるー! 教えて、菊野さん」
「お手洗いで―――」
 手の下でモゴモゴと尚も話し続けようとする相手を睨みつけ、章介は凄んだ。
「黙れと言ってるだろう。それ以上言ったら………」
 すると相手はなぜかうれしそうな顔になって章介の手を外した。
「隠すほどでもないだろう? 佐竹さまが知りたいとおっしゃってるんだ」
「そーだよー。教えてよ」
「ダメだ」
 章介がピシャリと言った。
「あまりわがまま言うと今日はもう相手してやらないぞ」
「えー、ヒドい」
「ずいぶんな言いようだな、お客さまに向かって」
「おれのやり方に口を出すな。………瑞貴、コイツを下がらせてくれ。いられると不愉快だ」
 しかし意外にも章介の要求は却下された。普段の佐竹からは考えられない行動だった。何か裏があるのに違いない。
「ダーメ。今日は仲直りの日なんだから。和解するまでは出られません」
 やはり裏はあった。最近しきりに信との関係を聞いてくるようになっていた相手がついに行動を起こしたらしい。
「余計なことを………ケンカなんてしていないって言ってるだろう?」
「ウソつかない。なーんか最近ピリピリしてんじゃん。菊野さんの話題出すと怒るしさ。原因は? 椿さん?」
「…………」
「そうなんだ。まあ3人、仲良さそうだったもんね。でも八つ当たりじゃない? 菊野さんに怒ったって意味ないよ?」
「…………」
 黙ってやり過ごそうとしたが、相手が食い下がった。
「ホラ、正直に自分の気持ちを話す。じゃないと、ふたりで野球拳やらせるよ? 負けた方は」
 佐竹はニヤッと笑ってウィスキーのボトルを持ち上げた。
「コレ、ロックでイッキね?」
 すると普段飲まないウィスキーを今回に限って用意させたのはこのためだったのだ。ずいぶんと準備のいいことだな、と思いながら章介はため息をつき、わかったよ、と答えた。当然、佐竹の前で真実が露呈するような話をすることはできない。しかしそれらしく演じてみせなければ相手は引き下がりそうになかった。
 章介は信の方に身体を向け、深呼吸をしてから重い口を開いた。目は、見られなかった。
「一樹は………勝手に行動を起こして……それがどんな結果になるかも考えないで………裏切られた、と思った………ひとこと、相談して欲しかった……成功したからよかったようなものの、もし失敗したらどんなことになっていたか………。でも、信に当たるのはお門違いだったな……」
 言っているうちに、演技で言ったセリフが本音に変わってゆく。
「………信も大変な時期だったのに、無視して悪かった………」
 すると信は、こちらこそ悪かった、と神妙に頷いた。
「これで解決? 良かったねー」
 不意に佐竹の明るい声がして、章介は顔を上げた。
「さ、じゃあ仲直りのキスして」
 唖然として二の句を継げなかった章介の顎を信が掬いあげ、伸びあがって近付いてくる。次の瞬間、左の頬にやわらかいものが触れた。
「ッ! 何するんだッ! 気色悪ィ!」
 章介がギョッとして手で頬をごしごしこすり、相手を睨みつけると、信は笑って言った。
「口にしたら殺されそうなので、このくらいで勘弁して頂いてもよろしいですか?」
「うん。トクベツ許してあげる」
 なぜか楽しげにニコニコ笑うふたりに、章介は立ち上がった。
「手水!」
 そして返事も聞かずにドカドカ歩いて座敷を飛び出したのだった。

                            *

 佐竹はそれからも何度か信を章介と相席させ、関係性の修復を図らせた。彼の計らいによって否が応でも友人と接触せざるを得なくなった章介は、ゆっくりと相手を受け入れ始めた。信の話を聞き、淹れた茶を飲み、やがて部屋に入ることを許し、最後には対局するまでになった。相変わらず〝例のあのこと″について、腹を割った話し合いは持たれていなかったが、それでもふたりは以前の関係に戻りつつあった。
 信は申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな顔で、月曜日には必ず章介に対戦を申し込むのだった。

 静まり返った室内に、将棋を指す音が響く。日差しに春の兆しが見え始めた3月のある日―――一樹の足抜けから5カ月余りが経過した、月曜日のことだった。
「認める」
 不意にそう呟いた章介に、信が盤面から顔を上げた。章介は自分の布陣に目を注いだまま続けた。
「―――あのときの信の決断」
 すると相手は感じ入ったようにほう、と息をついてから静かに返した。
「ありがとう」
 章介は銀将を前に進め、駒を裏返した。


                           完

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