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三銃士の誓いよ永遠に 第7章 蟻地獄

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 信の回復はゆっくりだった。そもそも過労状態だったために治りが遅かったのだ。
 彼は1週間の入院と、その後1週間の労働禁止を病院側から言い渡されたために、合計丸々2週間身体を休めることができることになった。
 信の受け持っていた大量の客の相手は、別の傾城が務めることになった。顧客サービス第一主義の遣り手には、客を待たせておくという発想がなかったからだ。そのため、回復を待つと言った一部の客以外の全員に一時的に別の傾城をあてがった。
 ここで問題が発生した。それは、信の馴染み客の半数が元は一樹の馴染みであり、当然代役として彼を指名したがった、ということだった。
 章介は、そうは見えないが意外と完璧主義で頑固で、物事に熱中すると冷静に自分のことも周りのことも見えなくなる―――特に自分の健康状態とか―――きらいのある一樹が引き受けそうであることに勘づいて止めたが、相手は聞かなかった。元々自分の担当していた客たちを一手に引き受け、かつて、人数制限をする前と変わらぬ忙しさに戻ってしまった。
 内部事情を知らぬ廓の傾城たちは彼のこの行動を、以前信がした仕打ちに対する報復であると解釈し、ふたりの争いを面白がって話のネタにしていた。彼らは、普段一緒にいることの多い信と一樹の仲が実は険悪だと信じて疑わず、傾城同士の友情を築くことの難しさについて、また、ふたりの抜け目のなさ、腹黒さについていろいろと憶測を巡らせていたが、章介は気に留めなかったし、実態を良く知る環も特に気にしていないようだった。
 そんな中で、勘違いをしたままの廓中の傾城たちの勘違いを更に強める事件が起きた。ようやく退院し、帰ってきた信が、一樹のしたことを知るや否や部屋に乗り込んできたのである。そして偶然居合わせた章介は、その一部始終を間近で目撃することになったのだった。
「いったいどういうことだ」
 信は部屋に入ってきて戸を閉めるなり、開口一番そう言った。怒鳴っているわけではないが、その冷たい炎が燃え上がった瞳を見て、章介は相手が激怒していることを悟った。
「ちょっと! まだ動いちゃダメって言われただろ?……さ、こっちに座って」
 自分を座椅子に導こうとする一樹の手をふり払って、信は氷点下の眼差しで相手を射るように見た。
「約束はどうなった?」
「しょーがないじゃん、元はおれの客だったんだしさ。指名されたら断れねーだろ?」
「………小竹さんに何か言われたか?」
「…………」
「言われたんだな?」
「………まあ」
 こういう重要な局面でウソをつかないのが一樹だった。
「私のぶん働けばもっと私の休みを長くしてくれるとか、そんな話か?」
「………おれが信の客の相手しなきゃ、客がお前から離れてくだろうって」
「そんなワケないだろ。冷静に考えろ。皆さん事情は承知なんだ、〝繋ぎ″が誰であっても、いや、いなくたって怒るワケがない。違うか?」
「………まァ常識的なひとはそうかもしんねーけど、ヘンなのもいるだろ? 穴を空けるとは何ごとかっていうタイプの」
「そんな客はそもそもいらない。………とにかく、断りに行こう。今ならまだ昼だし、間に合う。せっかく良くなってきたところなんだから、大事にしないと……ッ!………」
 そのとき、信は脇腹を押さえ、顔をゆがめた。近くにいた一樹がすかさず傾いだ身体を支え、座椅子に座らせる。
「だいじょうぶかっ?」
「悪いな………少し休ませてくれ」
「病み上がりなのにおれの部屋なんかまで出張ってくるから………ちょっと休んだら部屋に強制送還だな」
「ああ」
 章介は頷き、脂汗をかいて浅く息をする友人を安心させるように言った。
「遣り手のところにはおれが付き添うから心配するな」
「そうか?……じゃあ頼む………口車に乗せられないように、絶対客取らないって言ってきてくれ」
「了解」
「私のことを引き合いに出されても怯むなよ? 遣り手は所詮私たちに敵わないんだからな?」
「信、けっこー怖いコト言うなあ」
「だって事実だろ? 雇用主は従業員に依存してるんだ――まぁ、正常な雇用関係ではないわけだが――私たちが一斉にストでも起こしたら白銀楼(ココ)は終わりだ。違うか?」
「やはり信は賢いな………」
 章介が感じ入って、思わずそう言うと、すかさず一樹が同意した。
「軍師、だよな、位置づけ的に」
「とにかく、断ってきてくれ」
 章介は頷き、立ち上がった。そして、気力だけで来たらしい怪我人を気にしながら一樹の居室を出て、5階の小竹のオフィスまで行き、扉をノックした。誰何する声が聞こえ、ふたりが順に名乗ると入室を許可された。小竹は在室していた。
 彼はパソコンから目も上げずに用件を訪ねてきた。ふたりは立ったまま、信の指示通りに一樹がここ1週間の間に新たに受け入れた分の客たちを、他の傾城に回して欲しい旨を話した。
 すると小竹は顔を上げ、初めてふたりの顔を見た。そして冷然とした口調で言った。
「なるほど………菊野から顧客が離れても構わない、と?」
「そのことなんですけど……必ずしもそうなるとは限らないと思います。皆、事情は知ってるわけだし、本当に信を好いてくれてるなら待っていてくれると思います」
「甘いな……今は江戸時代じゃないんだよ。客が望んでいるのは〝実質的な″サービスだ……一途に色子に尽くして〝待つ″のが粋だなんて考える客なんて皆無なんだよ。資本主義の世界なんだ、とにかくサービス第一。……それに客というのは、こう思うものだ――〝菊野が″自分の代わりにこの傾城をあてがった、とね………その代役の傾城がはるかにランクの落ちる傾城だったら?……こう思うだろう――菊野にとって自分はその程度の客なのだ、と。
 現状、珠生や紫蘭やあやめは自分の客で手一杯でとても新しく受け入れられる余地がない。紅妃、お前は菊野とまったくタイプが違う。その他の傾城たちでは不足だ。経験・実績・知性・教養・容姿・閨房術―――そのいずれかが欠けている。すべての条件を満たし、かつ受け入れる余裕のある傾城は、白銀楼広しといえども椿、お前くらいしかいないんだ。どうせあと一週間だろう? そのくらい踏ん張ってくれないか?」
「……………」
 黙り込んでしまった一樹に、マズイと思って章介は言った。
「信は客が離れても構わないと言っています」
「小竹さん、アイツにハッパかけたんですよね? 見事功を奏してよかったじゃないですか。でも、もう充分ですよね? 少しくらい客が減っても、充分利益をもたらしてくれると思いますが?」
 そう言う一樹の目は怒りの炎に燃えていた。信とは対照的に、赤々と燃える炎だった。
「ハッパ?………なるほどね。まあ、そういうこともしたかもしれんな。しかし仕方なかろう。あの子があまりにもやる気がなかったのでね。………私は、やれる器なのにやらない人間に一番腹が立つんだ。それに、ウソつきにも」
 最後のひと言が信を指していることを、章介は瞬時に悟った。
 小竹は一樹を見すえたまま話し続けた。
「そんなに言うなら、いいだろう。他に回してやろう。………ただし、このことによって、菊野の客は〝かなり″減ることになるだろうが……あとで恨まれないといいな?」
「…………」
「信はそんな人間じゃありません」
 章介の反駁に、小竹は薄笑いを浮かべた。
「どうかな? 地位や名誉や金というのは、ヒトの本性を露呈させるものだ。トップの恩恵を享受して、それを手放しがたくならなかったと、どうして言える?お職というのは特別だ。それは、君も経験しているから知っているだろう?椿」
「…………」
「信は、そういう人間じゃありません」
 章介は再びきっぱり言った。すると小竹が量るようにこちらを見た。
「なるほど………君は菊野の代理というわけだな?」
 そのことばに内心ドキッとしたが、努めて顔に出さないようにし、相手の出方を見る。
「なるほどなるほど………一度話す必要があるな………まあいい。では―――」
「やる」
 小竹を遮ったのは一樹だった。
「ほう」
「信の客を、今まで通り引き受けます。その代わり、2週間信の休みを延ばしてもらえませんか?」
「1週間だな」
「いいです」
 一樹は頷いた。すると小竹は満足げに鼻を鳴らした。
「ならばこちらも譲歩しよう。相手をするのは太い客だけでいい。その他は他に回す。どうだ?」
「充分です」
「ではあとでリストを届けに行かせる」
 勝手に話を進める一樹に動揺し、章介は相手を小突いて小声で言った。
「充分です、じゃない。信との約束はどうした? 断るはずだっただろう?」
「2週間だけだからだいじょうぶ」
「しかし―――」
「じゃあ、約束守ってくださいね。おれも守りますから」
「もちろんだ、わかってくれてよかったよ。何かあったらまた来なさい」
「ちょっと、一樹っ!」
 会釈をして部屋を出ようとする友人を止めようとするも、ムダだった。一樹は章介を無視し、そのままオフィスを辞してしまった。
 章介がどうしようかと立ち尽くしていると、小竹がパソコンでの作業を再開しながら、用が済んだなら出ていきなさい、と言った。章介が仕方なく部屋を出ようとした瞬間、小竹が笑い混じりにこう言った。
「残念だったな、思惑が外れて」
 章介が息を呑んだ瞬間、扉が音を立てて閉まった。

                               *

 それから二週間後、信は仕事に復帰したが、一樹の客の数は減らなかった。どころか増えてゆき、白銀楼の、椿・菊野の二枚看板時代がここに幕を開けた。
 この頃からの約半年間―――ふたりが交互にお職をとるようになったこの時期は、ふたりにとっても章介にとっても辛いことの連続だった。ふたりの間では口論が絶えず、昔のように和やかに3人で過ごせなくなったのだ。
 しかし前回の不和と唯一違うのは、今回に限っては、互いが互いを思いやるがゆえに衝突している点だった。ふたりとも、相手に仕事をさせたくなかったのだ。客をとるのを少し控えろ、というのが互いの口グセになった。章介は調停役に逆戻りし、本来よりおしゃべりになることを要求された。
 その上、一樹の方の体調が日に日に悪くなっていた。痩せて、目ばかり目立つようになり、寝付けないと夜よく章介や信の部屋に来るようになった。いつも疲れたような顔をして、ぼんやりしていることが多くなり、以前の快活さは鳴りを潜めていた。
 そんな相手を心配し、信と章介は仕事を控えるよう再三忠告したが、一樹はふたりの言うことに耳を貸さなかった。彼は自分の放した客が信に流れるのを恐れていたのである。友人が客に刺されて以来、一樹は過剰に信の身体を心配するようになっていた。だから小竹に、フッた客は信に回すと言われれば拒否できなかった。
 信はそんな相手から客を〝盗る″ことに腐心し、長らくふたりの間で客の取り合いが続いた。彼らはほとんど交互にお職を取り、周りから白銀楼に咲いた2輪の薔薇とかライバルとか言われていたが、実態はそんな華やかなものとは程遠かった。ふたりはただ、死ぬ思いで親友を守ろうとしているにすぎなかった。その血の滲むような努力と献身を間近で見ていた章介は、彼らは薔薇というよりも戦士だ、と思っていた。
 結局、ふたりとも小竹の計略にまんまと引っかかって踊らされていたのだった。

 そんなある日のことだった。揃って休みの月曜日だったが、この日も案の定一樹と信の口論が勃発していた。
「一樹、ヤセすぎだぞ。中西さんまで取ることないだろう」
「信こそ、いっつも寝てるじゃん。泊まりは週2回までにしろって言ってるだろ?」
「そういう自分はどうなんだ? 棺桶に片足突っ込んでるようなカオしてるぞ。そこまでして働きたいのか? 過労死する人間の典型だな」
「信にだけは言われたくないね」
「うるさい。騒ぐならよそでやれ」
 部屋の主、章介がそう言ってもふたりは止まらなかった。
「お前、また新しいの登楼(あげ)ただろ? どんだけお職取りたいんだよ!?」
「お前こそ、誰でも登楼(あげ)るって評判だぞ。仮にも白銀の呼び出しなんだから、もう少しえり好みしたらどうなんだ? 安く見られるぞ」
「サドと寝てるお前に言われたくない」
 一樹のことばに信が眉根を寄せる。
「うるさい」
「そーゆーシュミあんの? 引くわー」
「黙らないとその口縫い合わせるぞ。章介、何とか言ってやってくれ。こんなにヤセてるんだ、休むべきだよな?」
「章、まさか信の肩持ったりしないよな?」
 顔を覗き込んでくるふたりに、ついに堪忍袋の緒がブチ切れた章介はふたりの首根っこをひっつかんで扉の所まで引きずってゆき、廊下に放り投げた。そして呆気に取られて自分を見上げてくるふたりに冷たい視線を送ると、無言でドアをピシャリと閉めてカギをかけた。
 その後しばらく戸を叩く音や、懇願調の声が聞こえてきたが、無視しているとやがて表が静かになった。これでやっと落ち着いて将棋ができる、とパソコンの前に戻ると、座り込んでマウスに手を置いた―――このときが三人が一同に会すことのできる最後の機会だったなどとは夢にも思わずに。
 一樹の足抜けが発覚したのは、翌々日の昼のことだった。


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