その他

三銃士の誓いよ永遠に 第1章 出会い

 ←三銃士の誓いよ永遠に 第2章 水揚げ →白銀楼物語 スピンオフ

「クソッ!」
 鶴見章介は誰もいないトイレの壁に拳を打ちつけた。
「何でっ、おれなんだよっ! おれが何したってんだよっ!」
 そう叫んで、何度も何度も拳で壁を叩く。彼は今先初めて名代――見習いが傾城がいない間に客の相手を務めることだ――に入ったばかりだった。そして早々に客から聞くに堪えないような下ネタを聞かされたのだった。
 死ぬほどイヤだったし、自分を品定めするような客の目も気色悪いことこの上なかった。同性に一度たりとも惹かれたことのない章介にとって男が男を抱くなど考えられなかった。
 吐き気を催して個室に飛び込み、仕事前に食べた早めの夕食を吐き戻す。とてつもなくミジメで、やるせなかった。あとさき考えずにマズイ筋の人間たちに借金を重ねた挙句逃げ去った両親が憎くてしょうがなかった。
 悪態をつきながらゲーゲー吐いていると、ひとが入ってくる気配がした。話し声がするところをみると、複数のようだ。章介が舌打ちをして、開いていた個室の扉を閉めようと振り向いてカギの部分に手をかけたとき、背後に迫っていた人物と目が合った。
 ちょうど少年と青年の端境期くらいに見える相手は、章介と同じく禿の制服である、白地に淡い橙の模様が入った木綿の着物に濃い橙の帯を締めていた。
「だいじょうぶかー? 見たことない顔だな。こんなコいたっけ、信」
 するとその男の横からもうひとり、同じく禿の制服姿の、同い年くらいの色子が姿を現した。信と呼ばれた人物を、章介は何度か見たことがあった。よくトイレ掃除をさせられていたからだ。
「一週間くらい前に入った子じゃないか? 夏目さんたちがお話ししてた……」
「マジ?知らなかった。……君、名前は? あ、そちらの用事が終わってからでいーけど……おれは湯田一樹。で、コッチが天野信。よろしくな?」
 章介の都合などお構いなしにそう言って手を差し伸べてきた相手に、彼は一気にさっきまで胸中を支配していた怒りや憎しみが消えたのを感じた。
「章介……鶴見章介。よろしく。……今、手、きたねぇから、悪い」
 そう言って握手を拒むと、相手は笑顔を崩さぬまま手をひっこめた。
「何かに当たった? おれらも同じモン食ってるからなー。信、期限切れの卵か何か入れたろ?」
「そもそも皿洗いしかやってない。でも……悪いモノでも入ってたのかな? 肉に火は通ってたと思うし、変な味はしなかったけど……」
 信は眉をひそめて考え込むそぶりをした。
「ま、とにかく出すだけ出せば良くなんだろ。まだ出そうか?」
「いや……もう空だ」
「オッケ。ホラ、手ェ貸せ」
 そう言って腕を伸ばしてくる一樹に、章介は首をふって手が唾液とか吐瀉物で汚れていることを訴えたが、相手は構わず手を掴んでひっぱりあげた。
 フラつく章介の腕を自分の肩に回し、一樹は歩き出した。
「ひとりで、歩ける……」
「なーに言ってんだよ。倒れられちゃこっちがメーワクだっつーの。なー信?」
 ふたりの右側を歩いていた信は章介を案じるような表情で見て、曖昧に頷いた。
「顔色悪いし、ちょっと休んだ方がいい」
「食中毒とかだったらおれらもヤベーな。ゲロ袋用意しとかねーと」
「ここの衛生管理がそんなにずさんだとは思わなかった」
 あくまで食材に不備があった前提で話を進めるふたりに、章介は迷った末に本当のことを話すことにした。騒ぎにでもなったら困ると思ったからだ。
「……食べ物とかは関係ない。その、少しいろいろ……」
「あー、センパイのイビリとか? 良かったな信、イビられ仲間ができて」
「減らず口叩いてるとその口縫い合わせるぞ」
「いや、それも関係ない……」
 どうしてもその先を言えずに言い淀む章介を見て、一樹はすぐにピンときたようだった。
「客か」
 章介が黙って頷くと、相手はため息をついた。
「まー気にすんな。そのうち慣れる」
「………」
「ってゆーかお前一週間前に来たんだよな? でもう名代入ったの? 有望株か」
「……よくわからないが、人手が足りないと言われた……」
「へー。じゃ、将来のライバル候補ってことで」
「……ライバル?」
 章介がそう聞いたとき、三人はちょうど中央階段の脇に到着した。そこは奥と左右を座敷や本部屋とその前の廊下で囲まれた、最上階の五階までの吹き抜けの手前――玄関側の中央部だった。正面玄関から入って、太鼓橋のかかった池や、ピアノ、ソファなどがある休憩スペース、そして番台を過ぎたあたり、ちょうど建物の中央部分にあるため、中央階段と呼ばれている。
 ちょうど八時を過ぎた頃で、見世が最も忙しい時間帯だったため、朱塗りの柱や手すりが彩るきらびやかな空間は活気づいていた。
「そ」
 一樹は階段を上りつつ頷いた。
「ナンバーワンの座を巡るライバル」
「ナンバーワン?」
「〝お職″とも言うんだけどさ、一番の売れっ妓ってコト。傾城――ってのは客取るようになったひとのコトだけど――、傾城になったら毎月売上高に応じて番付が発表されんだよ。おれたちはほとんど同期みたいなモンだからなる時期も一緒で、そしたらライバルにもなるワケだよ。おわかり?」
「………一樹、くんは――」
「一樹でいーよ」
「………一樹は、トップになりたい、のか?」
 章介は戸惑いながら聞いた。
 廓というのは体を売るところだ。つまり、売れるということはすなわちそれだけ多く〝商売″するということだ――そんなことを望むひとの気が知れなかった。
「まーね。やっぱ何か目標がないとさ、張りあいないじゃん?」
 すると信がクスリ、と笑った。
「この子、面白いだろ?」
「……確かに、変わってるな」
 章介が同意すると、一樹が一旦階段の踊り場で立ち止まり、不満げに言った。
「おれはどんな環境でもがんばるって決めてんの。お前ら、そんなやる気ないとお茶挽くことになるぞ」
「お茶を挽く――?」
 意味が分からず聞き返した章介に、信が説明してくれる。三人は再び歩き出し、二階に上がった。そして少し進んだ後突き当たりを左に曲がり、座敷を右手にそこをまっすぐ進んだ。
「お茶挽くってのは、客がつかなくて売れ残るってことだよ」
「そのほうがいいじゃないか。相手をせずに済む」
「だよな」
 信が頷いた。
「許される範囲内で最大限挽きたいよな」
「ったく……だいじょうぶかよ、ふたりとも。おれ、お前らがここでやってけるか不安で仕方ねーわ。……お、着いたぞ」
 一樹はそう言って足を止め、〝医務室″と白く表示された擦りガラスの窓のある戸をノックした。
「せんせーい、急患でーす!」
 そして扉を開け、章介を中に入れた。中は二十畳弱といったところで、白い家具ばかりの上壁も天井も床も同色で、どこか寒々しかった。
 ベッドは向かって右側の壁につけるようにして三床あり、そのうちひとつ、一番奥のベッドの周りにだけカーテンが引かれていた。
 左奥の机で何か書き物をしていた医師らしき人物は立ち上がって左手前のパーテーションで仕切られた診察スペースに三人を案内した。
 その医師――初老の、メガネをかけた柔和な雰囲気の男性――は章介の顔を覗き込むようにして見た。
「はじめまして、だね。新入りだろう? 僕は柿崎――柿崎友也だ。よろしくね」
「鶴見……あ、紅妃、です」
 本名を言いかけて源氏名に変えた章介に、柿崎はやさしく頷いた。
「鶴見君だね。今日はどうしたのかな?」
「ちょっと……気持ち悪くなって……戻してしまって……」
「原因に何か心当たりはあるかな? 例えば拾い食い、とか?」
 そして愉快そうに一樹を見て続けた。
「誰とは言わないけど、何度もそれでお腹壊してる子がいるもんでねえ」
「しょーがねーだろー。成長期だから腹減るんだよ」
 一樹はシレッとそう答えた。信は横でクスクス笑っている。
 章介は、自分の気持ちが落ち着いてゆくのを感じた。
「あの……食べ物はカンケーないです……初めて名代に入ったんでそれで……」
「なるほど。じゃ、水分とってすこし横になりなさい」
 柿崎もふたりと同様すぐに察したようだった。彼は立ち上がると、部屋の隅の棚を開けてパックに入っている経口補水液を取り出した。
「天野君、湯田君、このあとは?」
「あー、おれはヒマ。信は名代、だよな?」
「ああ」
 名代――章介の心臓がドクリ、と脈打った。彼はこれからあの場に出向かなければならないのだ。あの、吐き気を催すような、おぞましい客の相手をしに――。
「じゃあ湯田君、ちょっと付き添いお願いできるかな?」
「はいよー。じゃーな信、ケツ触られないよーにな」
 信は無言で一樹の脛を軽く蹴りつけ、章介に、お大事に、と言い残すと医務室を出ていった。
 柿崎は章介を中央のベッドに案内し、飲み物を手渡した。
「さあ、飲んで。無理しなくていいから」
 章介が言われた通り喉奥に液体を流し込んでいる間に柿崎は熱を測り、バインダーに挟んだ紙に何かを書きつけた。
「熱はないね。セキもくしゃみもなし、と。胸の音も喉もキレイだし、身体はだいじょうぶそうだ。――ずいぶんと早く名代にあげられて災難だったね。本当に、世の中にはいろいろなひとがいる――そう思わないかい?」
 手近なイスに腰かけ、目線の高さを同じにしてそう優しく語りかけてくる医師に、章介は手先を見たままかすかに頷いた。
「僕は長年ここで医師をやっているのだけれどね、未だにここに来るひとたちのことを理解できないんだよ。……でも、だからといってできることは、君たちを診ることくらいしかないのだけれどね。……イヤなことをされたかい?」
「されたというか……言われました」
「そう……何をされていなくてもね、ことばの暴力というのはひとを深く傷付けるものなんだ。具合が悪くなって当然だよ――僕は話を聞くくらいしかできないけれど、いつでもおいで。身体の具合が悪くなくても、ね」
 章介が黙って頷くと、柿崎は腰を上げ、カーテンを通って机の方に戻っていった。そして、ちょうど入れ替わるようにして一樹がカーテンの中に入ってきて、ベッドわきのイスに腰かけた。
「いいセンセイだろ? ここが〝白銀のオアシス″って呼ばれてる所以だよ。あのひとは信用できる」
 章介は頷いた。
「そういえばお前いつ来たの?正確には」
「9月15日――1週間前だ」
「へー。じゃあホントーに新入りなんだな。おれと信が来たのは今年の5月だよ。ぐーぜん同じ日だったんだけど。……ところでもう部屋は決まったか?」
「……部屋?」
「ホント、何も知らねーんだなあ」
 一樹は苦笑した。
「部屋ってのは、担当の傾城のことだよ。あ、傾城は、知ってるよな?」
 章介が頷くと、一樹は陽気に続けた。
「おれたち見習いにはそれぞれ指導担当の傾城が付くんだ。ま、直属の上司みたいなモンだな。だからどこに入るかはスゲー重要なワケ。おれと信は環さんっていうひとの部屋付きなんだけど、スゲー親分肌っての、面倒見よくてさ。キビシーけど、いいセンパイなんだよ。で、近々新造の一本立ちが予定されててな――あ、一本立ちってのは傾城になることな。詳細は、ちょっと今は割愛するけど――とにかく、空きが出るんだよ。だから、よかったら頼んでやるよ、章介を入れて貰えるよーに。まだ部屋決まってないだろ?」
「たぶん……でも、そんなこと、できるのか?」
「まーキホン遣り手――あ、コレは廓回してるひとね。支配人というか絶対君主みたいな感じ――と傾城が相談して決めるんだけど、希望を聞いてくれることもあるよ。――お前、信と気合いそうだし、ゲロってるところに鉢合わせたよしみで推薦してやるよ」
「……悪いな……恩に着る」
「ん。じゃー決まりな。はあぁ、おれも眠くなってきちゃった。となりのベッドで寝てるな。2時間たったら起こして」
 一樹はそう言うと、イスから立ち上がり、カーテンの向こう側へと消えた。
 章介は視界に入る範囲に時計が無いことに気付き、ちょっと考えたが、結局気にしないことに決めた。少しすると、となりから規則正しい寝息が聞こえてくる。章介はつられるようにして、瞼を閉じた。

関連記事



記事一覧  3kaku_s_L.png About
記事一覧  3kaku_s_L.png お知らせ
記事一覧  3kaku_s_L.png 作品のご案内 
記事一覧  3kaku_s_L.png ジェンダー
記事一覧  3kaku_s_L.png 映画のレビュー
記事一覧  3kaku_s_L.png その他
記事一覧  3kaku_s_L.png Links
記事一覧  3kaku_s_L.png 倉庫
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
【三銃士の誓いよ永遠に 第2章 水揚げ】へ  【白銀楼物語 スピンオフ】へ