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白銀楼物語~太陽の子~ 第17章 陽の光の当たる場所

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「う、うぅ……! 痛いっ……!」
「信さんっ!? だいじょうぶっ!?」
 なぜこんなカンタンなことに気付かなかったのだろう、と思いながら、信は頭を抱えて蹲った。急病のフリをすれば外に出られるという自明のことをすっかり失念していたのだ。
「とっ、とりあえず横になってっ……あわわわわ、どーしよう!?」
 言われるままベッドに横になり、苦しみ悶える。演技なんてする必要はない。つい数日前まで三日と空けず激痛を経験していたのだから。
「き、気持ち悪い……吐きそう……」
 信はそう叫んでトイレに駆け込み、吐くフリをした。急激な頭痛と嘔吐――くも膜下出血の症状を模して待つと、思惑通り、病院に行こう、と秋二が言いだした。
 信は秋二に抱えられておぼつかない足取りでトイレを出、そのまま監禁部屋も出た。秋二は信を廊下を進んだ先の開放的なリビングの中央にあるソファに座らせた。
「車のカギ取ってくるから待ってて!」
 彼がそう叫んで玄関近くの部屋に飛び込んだスキに信はサッと辺りを見回した。すると、窓の近くの壁に寄せられた小テーブルの上に運よくケータリングか何かの支払いをした後の釣銭らしき硬貨数枚と紙幣がのっているのを見つけた。
 信はすばやくをそれを引っつかんでポケットにねじ込み、ソファに戻った。腰かけたのとほぼ同時に秋二が戻ってくる。彼は、見たこともないような深刻そうな表情で、立てるかどうか聞いてきた。信は頷き、差し出された相手の手をとった。
手を貸してもらいながら玄関から外に出たとたんに身体全体が一気に熱気に包まれる。
 夏だった。
 見回すと、パラパラと民家が点在しているだけの郊外地域の外れにいた。周りの家々のデザインからしてもやはり信は国内にいるのではないようだった。彼は家に隣接したガレージに向かって男と共に歩き出した。見ると、広々した前庭に植えられた大木がサワサワと音を立てて木の葉をゆらしていた。
甘く爽やかな植物の香りを胸いっぱいに吸い込んで目を細める。美しかった。世界は完全で、永遠の美をたたえていた。寄せては返す波と揺れる葉の隙間からチラチラこちらに光を投げかけてくる木漏れ日、輝かんばかりの太陽、そしてたったひとりの、最も美しい人が揃ったその情景はまるで一枚の絵のようだった。
秋二はこのような美しい世界で、これまでも、これからも歩んでゆく――その事実を確認できただけで信にとっては十分だった。彼は冥土の土産にとその光景を目に焼き付け、そして駐車場の車に秋二と乗り込んだ。見張りの男はついてこなかった。
 車が音を立てて発進する。焦ったような表情でハンドルを切る秋二に、信は言った。
「秋、二……ありがとう」「やめろよ、何かもう会えなくなるみたいな……」
「くも膜下、とかだったら、死ぬかもしれないし……」
「だいじょうぶだって! 疲れが溜まってただけだよ」
 そう言いながらも秋二の目には不安と怯えが浮かんでいた。
「君は、私の太陽だった……だからこれからも明るい場所にいてくれ」
「っ……! もう黙って!」
 秋二はアクセルを踏みこんだ。エンジンの唸り声と共に車が加速し、周りの景色が流れるように後方に飛び去ってゆく。
 車は緑豊かな田園風景の中を進み、整然と区画整備がなされた町をいくつか通り抜けた。そして田畑を通過したのち、再び町に入った。今度は都市部に入ったらしく、行っても行っても住宅が途切れない。左右に戸建ての家々を見ながら道を直進する車がやがて町の中心部に近づいてゆくと、商店やガソリンスタンド、宿泊施設などが多くなってきた。それでも依然、高層ビルはなく、街路樹や公園などが多い緑豊かな地が続いていた。
 しばらく行くと公園が見えてきた。かなり大きな、国が整備しているような緑地だ。その公園沿いに進んだ先、右手に見えてきた建物に、信は自分の正確な居場所を知った。ゴシック建築のカンタベリー博物館――彼はクライストチャーチにいた。以前畠山と旅行に来て立ち寄ったことのある、古き良きイギリスを思わせる、穏やかで自然と調和した町――その名の通り、教会や大聖堂多き、伝統ある町だった。
 信は、旅行に来たときにも秋二はいたのだろうか、知らぬ間に行き会っていたりしたのだろうか、と思いを巡らせながら、ぼんやり博物館が後ろへ流れ去るのを眺めていた。
「信さん、もうすぐだからね。だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
 そのことばは信というより秋二自身に向けられたもののような感じがした。スピードを出していた車はそこで急減速し、前の角を右折する。すると、目の前に高層階の白い建物が姿を現した。いよいよお別れだな、と哀しく思って信は秋二の姿を目に焼き付けた。そして車が止まるのを待った。
「秋二、ごめん!」
駐車場に車が止まった瞬間、信はすばやくシートベルトを外してドアを開け、そして走り出した。
「信さんっ!?」
 秋二の驚いたような声を背に、彼は病院の敷地から出て通りを何本か渡った。幸い、街を歩いたことがあったため、どちらが中心部かわかっていた。信は左に曲がってビルの立ち並ぶ通りに入り、そのひとつに飛び込んだ。健脚で、しかも自分より若い相手を足だけで撒くのは無理だと思ったからだ。オフィスビルに入ったらしく、広々したエントランスの受付にはスーツ姿のアジア系の男がいた。しかし、彼はこちらを気にもとめていなかった。
 信は磨き上げられたフロアを走って通り抜け、エレベーターに乗ろうとしたが、そのとき入り口の回転ドアのところに若い男が姿を現したのが見えた。エレベーターはまだ七階にいた。信は息を吐き、そこから離れて正面から見て右手の方の別の出入り口から外に出た。すぐ目の前には市役所があった。信はそれを背に再び通りを渡り、カンタベリー大聖堂の方に向かって走った。既に汗ビッショリで足はガクガクだったが、足を止めることなく、大聖堂の裏手まで一気に走る。
「はッ……」
 なまり切った身体を叱咤し、更に通り向かいのビル街へ向かおうとしたが、もう息ができなかった。信は大聖堂の外柵に片手をつき、身体を折って必死で息を整えた。そばを、観光客と思しき人たちが自転車で愉しげに話しながら走り去ってゆく。彼らの世界と自分のそれとはなんと遠く隔たっているのだろうか、と一瞬哀しく思ったあと、とにかく公衆電話を見つけなければ、と手の甲で額の汗を拭う。そのとき、何かに襟首を掴まれた。
「はい、捕まえた」
 慌てて振り返ると、秋二がニッコリ笑って信の手首を掴んだ。
「さ、帰るよ」「放せっ!」
 振り払おうとしたが、どうやら反抗を予期していたらしく、手は外れなかった。揉み合っていると、秋二が言った。
「騒ぎを起こしたいの? おれ、身元不明の外国人を匿ってるとかバレるとヤバイんだけど? 一応信さんのパスポートはあるけど偽造だしさー」
「偽造っ!? そんなコトしたのか?」
「まぁまぁ、ときにはちょっと汚いコトもしなきゃないんですよ。さ、おれを犯罪者にしたくなかったらおとなしくついてきて」「ッ……!」
終わった。自分のせいで、秋二は殺される――信は絶望感に眩暈を感じながら必死で反駁した。
「秋二ッ、ダメだっ! 私が戻らないと、君は殺されるッ! あのひとは世界中にパイプがあるんだっ絶対に見つかるッ!……あのひとは平気でひとに手をかけられるひとなんだよっ、見たんだっ、目の前でっ! だからッ、だから、帰らないとダメなんだッ! 私が行けばっ、何とかなるからッ!」
 通りのど真ん中にいることを考慮してなるべく声を抑えようとしたが、感情が高ぶってうまくいかなかった。
「で? 信さんは殺されるってワケ?……おことばですけど、信さんが帰っても帰らなくてもアイツはおれのこと許さないと思うよ」
「怒りの度合いが違うだろっ!」
「そんなに違わないと思うよ? おれが信さん攫った時点でアウトでしょ」
「そう、か……?」
 信はそこで説得されそうになった自分を、何もかも放棄して逃げてしまいたい、という自己本位な欲望を首を振って制した。
「ダメだ……秋二、だとしても、私は君の手はとれない……君を解放してくださった浩二さんを裏切れないから……」
 すると相手は目を細め、呟くように言った。
「……なんて美しいんだろうなぁ、このひとの魂は……」
 そして、いまだ抵抗している信の手首を放した。
「いいよ、行って。でも信さんいなくなったらおれ、悲しくて死んじゃうかもしんない」
 踵を返しかけた信は固まった。
「比喩じゃなくてね」「脅しか?」
 信の問いに、秋二はにっこり笑って頷いた。「うん」
「見損なったぞ秋二……私は、ひとを脅迫するような人間を好きにはなれないな」
「いーよべつに。好かれようなんて思ってないし。信さんの安全が確保できりゃそれでいいんだよ、おれは」
 秋二はあっけらかんと言い放った。そのことばに。善意と愛に満ちたことばに、信の全身から力が抜けていった。相手はそんな彼に手を差し出した。
「さ、かーえろ。まぁこれからはちょっと不自由な思いはさせるかもしんないけど身の安全は保証するから安心してよ。〝好きになれない″相手との無傷な生活の方が、〝大好きな相手″との傷だらけの毎日よりマシだろ? 人生妥協だよ、ね? Compromise, compromi~se♪」
 信はことばを失って目の前の男を見た。かつて、手を引いて、〝あっち側″に連れていく、と言ってくれた、男。太陽のように自分を照らし、希望をくれた青年。そしてとても大切で、愛しいひと――彼は今や、悪役を演じてまで、この身を救おうとしてくれていた。
「しーんさん? 早くしてくれないとおれ、思い余って道路に飛び出しちゃうかもよ?」
 催促してくるこの上なく優しい男に、信は、もういいか、と思った。もう自分は十分畠山に恩を返した、のかもしれない――もしかしたらこれからは、自分自身の幸せを追い求めてみても、いいのかもしれない―――。
「秋二…………ありがとう…………迎えにきてくれて、救ってくれて……ありがとう」
 そう言って相手の手をとった瞬間に、熱いものが頬を伝った。すると秋二はそれまでのおどけた調子をやめて信の身体を抱き寄せた。
「信さん………良かった……見つけられて、本当に、よかったっ………!」
 愛しい男の温もりに包まれて、信は幸福に涙した。
真夏の太陽が、世界を照らしていた。   
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