栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新中)

川流れゆく灯火たち

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 ぼんやり光る灯籠が、無数の灯火が川面を流れてゆく。光源はそれほど明るくないのに、それらは漆黒の上空を照らし、雲の形を浮かびあがらせていた。
 大勢の人々の間を縫うようにして川岸に辿り着いた鈴木リオは、しゃがみこんで手に持っていた灯籠を水に浮かべた。薄い紙に四方を包まれたそれは、やがて他の灯籠の列に加わって、ゆっくりと川を下っていった。

 鈴木は、自分の一個が、もはや他のものと見分けがつかなくなるまでそのゆくえを目で追った。そして踵を返すと、その場を他の人に譲り、川を少し遡ったところにかかった橋の中央まで渡って、欄干に腕をかけた。そして、無言で自分の隣にならびたった人物の方に顔を向けた。

「ここの川……子供がよく流されるんだ」
「そうなんですか……」

 相手は相槌を打った。

「うん。浅いわりに流れが速いでしょ? 足元をすくわれるんだよ。それで毎年夏になると、こうして子供たちの魂を鎮めるために灯籠流しをするんだ」

 鈴木は続けた。

「姉も流された」

 ゆれ動いて流れゆく数多の光を眺めていた後輩――澤一樹――がはじかれたように鈴木を見た。

「小4の夏だった。前々日の豪雨で増水していたから近づくなと言われていたんだけど、子供ってそんなことおかまいなしなんだよな……出ていってそれきり帰ってこなかった」

 言葉を失っている澤に、鈴木は体を向け、両手で上から下まで指し示した。

「このままなんだよ。このまま。もし詩音が成長したら、この姿そのものだった。身長も、顔も、声も、体重も……いや、増量してるから体重はちがうかな……とにかく、このままだった。双子だったんだ」

 澤は目を見開いて、鈴木の顔をはじめて見たかのように凝視した。

「明るくて、活発で、一番離れたクラスにも友だちがいるようなタイプの子だった――私と違ってね。性格が似ていると言われたことはあまりない。運動神経はそれほど変わらなかったけど、野球に関しては彼女の方がうまかったな……。詩音の夢は、サンライズでプレイすることだった」

 澤が息を呑む。鈴木は自嘲気味に笑って続けた。

「私は、医者になる予定だった――まあ、私というより親が望んだんだけど。……でも、自分にその適性があるとは思えなかったし、なる気もなかった。だから親に反抗して、松林大に入った。
そこでは幸い、高校の頃よりマシな成績を残すことができて、サンライズに拾ってもらえた。まあ、ごく一般的な“そこそこのプレイヤー”がたどる道だよ。澤みたいに華々しくドラフトで競合とかは無かったけど、満足してる。私は“持ってない”から、高望みなんてすべきじゃないからね」
「……どういう意味ですか?」

 不思議そうに聞き返す澤に、鈴木は説明した。

「野球に向いてないんだ」
「そんなこと――」
 
 相手に最後まで言わせず、鈴木は断言口調で言った。

「私は野球に好かれていない。わかるんだよ。向いてないんだ。……だけど、どうしてもやりたくて、あきらめ切れなかったから努力して努力して、やっと使ってもらえるようになった。
 だから、澤が入ってきたとき、終わったなって思った。だってかなわないよ、君みたいな大型ルーキーになんて。経験はあるかもしれないけど、それだけだ。体力も打力も肩もあきらかに負けてる。世代交代は近いと思った」
「そんなこと……」

 鈴木は笑って続けた。

「ドラフトの抽選のとき、引き当てないでくれって祈ってた。チームのためを思ったら入ってきたくれた方が絶対にいいのに、自分の立場だけ考えてそう願ってたんだ。――だけど、結局は入ってきた」

 暗くて表情はよく見えなかったが、澤の、輪郭が以前より鋭くなった顔は心なしかこわばっていた。

「テレビか何かで見たことはあったから知らなかったわけではなかったけど、実際に一緒に練習してみて、あらためてその才能に驚かされたよ。タッパがあるのに足が速いし、打つし、捕球もうまい。監督が何であそこまで澤を欲しがっていたのか納得した。同時に、近いうちに自分に出番が回ってこなくなるだろうことも予感した」

 鈴木は頭を掻いた。きまり悪くなったときのクセだった。

「そのときは、腹を括ったハズだった。だけど、倉田がお前にちょっかいを出しはじめたとき、本当はそうじゃなかったって気付いた――本当は、全然割り切れてなかったんだよ。自分の地位に固執してた……だから、何も言わなかった。ふたりの行為を見て見ぬフリをした……」

 澤はあまり表情を変えずに話を聞いていた。あとからあとから流れてくる灯籠の大群が、彼女のその横顔をぼんやり照らし出していた。
 鈴木は脇に垂れたこぶしを握りしめ、頭を下げた。

「あのときは、申し訳なかった。重大な問題を見過ごしてしまって、申し訳なかった。やめたくなるほど思いつめさせてしまってすまなかった。……あのあと、ふたりにはきつく言っておいたよ。まあ、彼らはもういないけれど、今後はそういうことが起きないようにする。――悪かった」

 澤は驚いたように目を見開いて、首をふった。

「先輩が謝ることなんて何も――」

 鈴木は再び相手を遮った。

「いや、ある。私はぜんぶ知っていた――ぜんぶだ。原因が自分にあることも、彼らにモノ申せるのが自分しかいないということも、ぜんぶ承知の上で口を噤んだんだ。責任が無いわけがない。――澤は前に、やめた原因は倉田たちじゃないと言ったな?」

 それは、急に倒れて病院に運ばれた彼女を見舞いに行った際、彼女から話されて知ったことだった。

「――だけどもしそうだったとしても、それはたいした問題じゃないんだ。問題は、キャプテンである私がそれを放置していたということなんだ」

 鈴木は、澤の背後に拡がる夜空で、ひときわ強く光る星を見た。そして、そこに姉の姿を見出しながら、後押ししてくれるのか、詩音、とわずかに微笑んだ。彼女はそれから再び澤に目を戻していった。

「たとえやめていなかったとしても、あんなことを続けられちゃパフォーマンスが落ちていたのは必定。だから今後はチーム内でそういうことが起こらないよう、注意するよ、キャプテンとしての自覚が足りなかったんだよなあ」
「そんな、そんなことないです――こちらこそ、急に辞めてすみませんでした」

 鈴木は首をふって、澤の肩を軽くたたいた。そして、表情を明るくして、冗談めかして言った。

「長嶺に負けるなよ?」

 澤はうれしそうに、ハイ、と返事をした。鈴木は、こんな笑顔もできるんだな、と思いながら、今年沖縄から移籍してきた長嶺菜月について考えた。
 澤と同い年の彼女は、澤と同じく打撃にも優れた捕手として知られている人物だった。同じように高校時代、甲子園で上位まで食い込んだ経験を持ち、同じように多くの球団から望まれてドラフトで競合した。結局、地元の沖縄が彼女を引き当て、彼女はそこに入団した。
 そして、6年間そこでプレイしたのちに新人王だの首位打者だの華々しいタイトルを引っ提げてサンライズに移籍してきたのだった。

 彼女は入団したその年から1軍に名を連ね、現在は二番手の捕手として、つねに鈴木の背後に控えている状態だった。鈴木は、いずれ彼女と澤が投手陣をまとめる存在になるであろうことを疑わなかった。
 ついに灯籠の流れが切れて、光の集合体が徐々に遠ざかってゆく。そしてそれと同時に、星々のきらめきが増した。

「付き合わせて悪かったな。明日、がんばりなよ」

 現在2軍に籍を置いている澤は、翌日の試合で先発する予定だった。
 彼女は、暗闇の中でもはっきりそれとわかるくらい大きな笑みを浮かべてうなずいた。
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