白銀楼物語 本編 (完結)

白銀楼物語本編~太陽の子~ 第4章 深夜の茶会

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 約十年前―――
 望んでいた急須とポットが与えられたのは、一本立ちして少し経った頃だった。確か二十歳かそこらだった気がする。それまでは厨房や座敷の隅でコッソリ楽しんでいたお茶を、自分の部屋で堂々と飲めるようになれたのは嬉しかった。支度部屋だけでなく本部屋にも持ち込んで客に振る舞ったり、事後の一服を楽しんだりしていた。友人たちも喜んでくれるので、誰か来るたびに淹れていた記憶がある。
 時が経って部屋に禿が付くと、信はますます頻繁に茶を振る舞うようになった。そして部屋付き――つまり信が指導担当になった見習いたちの中で、特にそれを好んでくれたのが秋二だった。彼はいろいろと問題を起こすクセがあったので、いつもその火消しをしていた記憶がある。野球少年だったという秋二は快活で、明るくて、竹を割ったような性格だった。よくいえば砕けた、悪く言えば粗暴な作法や言葉遣いはいつまでたっても直らなかったが――そしてそのことを信はさして問題だとも思っていなかった――、その滲み出る太陽みたいな明るいオーラに、誰もが惹かれて寄ってきた。まるで誘蛾灯のような子だった。だから型破りで問題ばかり起こしていても、先輩たちにいびられることもなく、同期にうとまれることもなく、うまく廓に溶け込んだ。信はそんな秋二のことを微笑ましく思いながら見守っていた。
 その日も、お茶の香に誘われてか、秋二が部屋に顔を出した。夜は更け、最後の客が帰った後だった。
「信さん!」
 ひとを本名で呼ぶのは彼のクセだった。同じく同僚を見世から与えられた源氏名で呼ばない主義の信は最初から彼のそういうところを好ましく思っていた。
「随分夜更かしだな……後片付けでも言いつかっていたのか?」
「いや、良いにおいしたから来た」
 秋二はそう言ってどっかりとそばに腰を下ろすと、甘えるようにすり寄ってきた。
「淹ーれて♪」
「ハイハイ」
 信は腰を上げて茶葉を缶から掬い、古いそれを捨てた急須の中に入れた。一度湯を注ぎ、むらしてから更に投入する。いくらもしないうちに芳しい香りが漂ってきた。
「信さーん、おれさ、来月から新造だって」
 新造というのは傾城、つまり客をとるようになった色子になる一歩手前の見習いのことだった。
 信は振り返って呟いた。
「随分早いな。ふつうは入って一年半、少なくとも一年は禿でいるものだが……」
「でしょでしょー? 超スピード出世じゃね? 来年の今頃にはもう傾城かも」
 信は眉をひそめてテーブルに湯呑みを置き、茶を注いだ。そして、最近秋二を気に入ってよく登楼している笠原玲が関係しているかもしれない、と思った。
 彼は半年ほど前からよく顔を見せるようになっていた客だった。遊び方が綺麗で金払いがよかったので、小竹などには大歓迎されていたが、特定の相手――敵娼(あいかた)――を作ったことはまだなかった。大方、最初から目当ては秋二だったのに違いない、と信は当たりをつけていた。そう考えれば、すべてのつじつまが合うからだ。それまでたまに商用で廓を訪れても自ら登楼することはなかった笠原が、秋二が座敷に上がるようになるやいなや足しげく通うようになった理由も、秋二を名代に指名したがる理由も、彼の新造出しを急かす理由も、それで説明がつく。
 信は内心ため息をついて、秋二の行く末を憂いてから言った。
「私が話をつける。まだ君は昇進させられないからな。ロクな作法も身に着いていない状態でお客さまの前には出せない。私の評判に関わる」
「ちぇっ、何でだよー」
「だいたい君は廊下を走らないという基本的なことすらできていないじゃないか? それに座敷に入るときは両手を揃えて床についてお辞儀をしろと言っているのにいつも会釈だけしてズカズカ入ってきて……」
 すると秋二はニヤッと笑った。
「笠原にはそれで気に入られたんだぜ? はねっ返りも悪くないって」
「一部の特殊な人間にだけ受けても意味がないだろう? 大半は知性と品と教養がある色子がだな……」
「例えばアンタみたいな?」
 秋二は愉快そうに目を細めて信の顔を覗きこんできたが、瞳の奥には恐れが見え隠れしていた。
 怖いのだ、いずれ辿らねばならない道が。組み敷かれ、欲望のための道具になることが。
 怖くないわけがない、と信は内心思った。自分の身体を好きでもない他人に預けて、いいようにされるなんて、どんな人間でも簡単に受け入れられることではない。受け入れるべきでもない。
 信は秋二が深夜に自分を訪れた理由を理解した。
「さあ、コレを飲んで。甘い物も食べるんだ。落ち着くから」
 素直に頷き、ヨーカンをほおばった秋二が、ポツリと言った。
「どんなカンジだった?……最初のとき」
「そうだな……怖くなくはなかった」
「へー、信さんでも怖いモノとかあるんだ、意外」
「私のことを何だと思ってるんだ……目を開けろと言われたから、ずっと天上の木目の形を観察してたよ。ひとの横顔みたいだった。あと団子もあった」
「プッ、マジ? 信さんの本部屋ってそんな模様あんの? 気付かなかった」
「今度見てみるといい……しかし新造になるともう掃除も回ってこないか」
 本部屋や座敷の清掃は、禿がする。手が足りないときは手伝ったりもするが、基本的には新造にそういう仕事は回ってこなかった。
「じゃコッソリ行くわ」
「まったく……見つからないようにな」
 すると秋二は頬杖をついて、キラキラした目をこちらに向けた。
「注意しないんだ?」
「しても来るだろう」
「さすが信さん、おれのことよくわかってんねー」
 信は立ち上がると、押し入れから布団を二組取り出した。
「今日はこっちで寝なさい」
「え、いいの?」
 本来、十五、六人いる禿達は全員同じ部屋―—四階にある桜の間――で寝起きすることになっている。しかし特に他の部屋で寝ることを禁止されているわけでもなかった。
「さあ、そろそろ消灯しよう。あ、その前に歯を磨いてくるように」
「えー、いいよ」
 布団にもぐりこんだ秋二はそう言ってゴネたが、信は相手を無理やりひきずり出し、歯を磨かせた。
「歯は一生モノなんだから大事にしないと。ワニみたいに次々生え変わるなら別だが」
「へいへい、何か信さんって母ちゃんみたいだよなあ」
 不平を垂れながらも洗面所で歯磨きを終えた秋二が再び布団にもぐりこんだ。静まり返った楼内に闇が落ちる。窓の外は満月だった。
 しばらくして、秋二が口を開いた。
「もう寝た?」
「いや」
 ウトウトし始めていた信はそれで現実世界に引き戻された。
「さっきの話だけど……信さんってマジつえーよなあ。ホント、尊敬する。おれさ……新造になるって言われたとき、結構ショックだったんだよ。まだ時間があるって思ってたモノが一気に身に迫ってきて……正直こえーよ、マジこえー。皆乗り越えてきたことなんだろうけど――」
「そういうひとばかりじゃない」
「え?」
 自分の方に目を向けた相手の視線を感じながら信は静かに言った。
「少なくとも、私は、違う」
 息を呑むような気配がしたが、信はかまわず続けた。
「割り切れるタイプじゃないんだ。そう取り繕っているだけ――本当は、毎日苦しいよ。心にもないこと言って、言わされて、やって、やらされて、感じてるフリして、その繰り返しだ。たぶん、私ほどではないにせよ、多くの子たちがそういう思いをどこか持っていると思うよ。……だから、孤独に感じることはない。皆怖いから。怖くて、苦しくて、血反吐吐くような思いで毎日何とかやってるんだ」
 そこで信は横を向いて、秋二の頭をそっと撫でた。
「全然だいじょうぶじゃない。だいじょうぶになる必要もない。弱音吐いて、あがいてもがいて、いいんだよ。辛いときは辛いって、痛いときは痛いって主張していいんだ。泣きたいときは泣いていいんだ。我慢するな」
「……ッ……!」
 秋二は嗚咽を漏らした。
「私も最初の頃は毎日泣いて環さんに添い寝してもらってたよ。泣いて泣いて泣いて、神を恨んで世界を恨んで自分の人生を恨んだ。それでいいんだ。誰もこんな仕打ちを受けて平気なはずがないし、平気なフリをする必要もない。……秋二、私は話を聞いてあげることくらいしかできないけれど、いつでもここにいるからな」
「うっ………信さん、おれっ………うぅっ、うぅっ……あぁっ……ひっくっ……」
「一緒に乗り越えような」
信は相手が泣きやみ、やがて寝入るまで、その背をさすり続けた。

 翌日、信は早めに起きて、館の遣り手、小竹のもとへ出向いた。彼がこの妓楼の実質上の支配者で、楼主の指示に従い、廓を回していた。
 最上階である五階の東側にあるオフィスをノックして名を告げると、入室が許可された。どっしりした机の向こうにいたのは四十がらみの、眼鏡をかけ、理知的な顔をしたスーツの男だった。一見柔和に見えるがその実冷酷で、使い物にならない男妓はすぐに売り払ったり、金を積まれれば客の横暴を看過したりする人物であることを、信はこの時点で既に知っていた。
 彼の手にかかってここ以上の地獄に落ちていった男妓は数知れず、また、信の大事な友人もかつて彼に散々苦しめられていた。
「珍しいな。どうした? お前が来ると悪い予感しかしないんだが。休みでも欲しいのか?」
「いえ……休みはいいです」
「では客のことで何か? 殴られたか? だがああいう金払いの良い旦那を手放したらどうなるか、わからぬお前ではあるまい?」
 小竹は信にいつも通り椅子を勧めなかったので――信は彼が色子全員に対してそういう態度をとるわけではないことを知っていた。そして自分が邪険にされる理由も知っていた――、立ったまま話を切り出した。
「私の部屋付き禿の秋二……立花のことなのですが」
「ああ、その話か」
 小竹は興味を失くしたようにのけぞり、キャスター椅子の背もたれに寄りかかった。
「新造にするとか……?」
「ああ。不服か?」
「早すぎないでしょうか?……まだとてもお客さまの前に出せる状態ではないかと……」
「それはお前の教育がしっかりしていないからだろう。確かに半年というのは例がないが――お前でさえ一年は禿だったのだからな――、だいたい禿としては仕上がりつつある時期のはずなのに、アレときたら……お前の部屋の子にはそういう傾向がある。甘やかしすぎなんだ。却ってあとで苦労するとわからないのか?」
「すみません……」
 信は頭を垂れて謝罪した。
「フンッ……しかし今更部屋を移すこともできんしな……私がじきじきに調教でもするか」
「ちゃんと指導しますからッ! お願いします、せめてあと半年待って頂けませんか?」
「ムリだ。こちらだって教育不足は承知しているし、正直アレが座敷に今より頻繁に上がるようになるなんてゾッとする。しかし、どうしようもない、笠原さまの頼みとあっては」
 信は両の拳を握りしめた。
「やはり、あの方が……?」
「ああ。水揚げ前にヤられるかもな、アイツ。まあどうせあの方が水揚げもやってくださるんだろうからたいした問題じゃないが。ちょっと順番が前後するだけだ」
「そんな……そんなことを許していいんですかっ!? 白銀楼の格が落ちますよ?」
「フツーの客なら許さないがなんせココの出資者だ。断ったら経済制裁をされる。そしたらワリを食うのはお前たちだぞ? ひとり差し出せばお前たちも、私も助かるんだ。仕方なかろう」
「そんな……そんなことされて、あの子はどうなると思うんですか? 水揚げだって覚悟が必要なのに……」
「大げさだな。ちょっと身体貸すだけだろう? 気持ち良くなって金も着物も貰えるんだから万々歳じゃないか」
「……私が気に入られればいいですか?」
「お前は全然タイプじゃないらしいが?」
「その気のない男をその気にさせるのが我々の仕事ですよ?」
「大した自信だな。まあ、そういうことなら一席設けてやる。実績があるからな。正直、立花ではあの方を引き留めておけるかどうか心配だったんだ。飽きてポイなんてことになったら大損だ」
「では、決まりですね」
「よかろう。先方から了承をとれたら延期してやる。日程は追って伝える。たぶんまた週末にいらっしゃるからそのときかな」
「ご配慮に感謝します」
 信がそう言うと、小竹は一瞬ポカンとした顔をしたあと、笑い出した。
「ハハッ、お前に感謝される日が来るとはな」
 信は何が面白いのかわからず首を傾げつつ、一礼してオフィスを出ると、ホッと息をついた。とにかくこれですこしは時間稼ぎになる……。
 彼はそれから部屋に戻り、笠原のリサーチを始めたのだった。
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