栄徳高校女子野球部! 本編 (完結)

プロローグ 封印1

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 気がつくと自分の視線がいつもある人物に向いている、ということに榛名玲(はるな・れい)が気付いたのはごく最近のことだった。野球でも、勉強でも、交友関係でも、常に前を歩かれて、ほとんど憎んでいるも同然の相手を、つい目で追ってしまうのはどういうわけなのか、できるだけ考えないようにしてみても、相手にどうしようもなく惹きつけられているということに、もはや疑いの余地はなかった。
クラスメイトと穏やかに何か話す様子とか、うつむきがちにノートをとる姿とか、手慣れたしぐさで防具をつけるさまとかをみるのが好きだった。彼女はどこからどう見ても非の打ちどころがなかった。榛名は自分にない物を持っている相手に憧れ、嫉妬した。
 その強い感情が友情以上のものであるかもしれない、という可能性に思い至った時、榛名はそれを即座に否定した。己の感情はただの憧憬、あるいは憎しみであるのだ、と自らを納得させた。そうしなければならなかったのは、自分と幼馴染――澤一樹(さわ・いつき)――の関係があまりに歪んでいたからだ。
 四年前のあの〝事故″以来、澤は過剰に榛名の顔色を窺うようになり、榛名もまたそんな相手に影響を受けぬわけにはいかなくなった。やたら自分に愛想を振りまいてご機嫌取りをしてくる彼女を重荷に感じるようになり始めたのはいつからだっただろうか?――もう正確には思い出せない。しかし、〝事故″から半年が経過した頃には既に、以前の友人は消えうせていた。
榛名はその頃、あまりに大きすぎる人生の転換点―――母親の死という経験をしているさなか―――にいたために、周囲を気にかける余裕がなかった。だから、澤の変化はもっと早い時期に起こっていたのかもしれないが、今となっては分からない。
分かっているのは、なるべく早くこのおかしな関係に終止符を打たねばならない、ということと、この状況で澤に下手なことを言ってはならない、ということだった。彼女は飼いならされた犬のごとく従順で、榛名の望むことなら何でもしたからだ。
 彼女は、使いっぱしられようが、掃除を押し付けられようが、荷物を持たされようが、榛名のためなら嫌な顔一つせずにやった。いや、嫌な顔をするどころか、むしろ嬉々として榛名に従った。
半年前など、そのあまりの忠誠ぶり、執着ぶりに嫌気がさして、冗談混じりに、そんなに何でもやってくれるなら、弁当でも作ってきてくれよ、と言った。 
すると翌日、彼女は本当にそれを作ってきた。
呆気にとられつつ、冗談だったのだ、と言ってみても澤は聞く耳を持たず、それ以来、給食がない日や、休日の部活の練習が昼にかかる時などには欠かさずに作ってくるようになった。そのおかげで、チームメイトたちからはいらぬ誤解を受けたため、何度もやめさせようとしたのだが、澤はなかなか折れてくれなかった。そして、そのときを境に始まった弁当の受け渡しはいまだに続いている。
 榛名は薄闇の中で、ため息をついて寝がえりを打った。もはや見慣れてしまった澤の実家の客間にある大きな窓が闇に溶けている。こういう、週末のたびの〝お泊まり″も問題なんだよなあ、と思いながら、半ば目を閉じ、眠りが訪れるのを待っていると、部屋の扉が控えめにノックされた。
「榛名さん、起きてる?」
 心臓が口から飛び出しそうになるとはまさにこのことだった。榛名は胸に手を当てて、急速に上昇した心拍数を抑えようと努めながら、平静を装って答えた。
「なに、眠れないの?」
 部屋の扉が遠慮がちに開かれ、廊下の明かりが細く差し込んだ。光を背にし、枕を抱えて立っている幼馴染は、いつもよりも萎んで見えた。
榛名は身を起こし、中に入るよう促した。彼女はためらいがちに部屋に足を踏み入れると、敷いてある布団から少し離れた場所に膝をついた。
「一緒に寝てもいい?」
 榛名は軽く息を吐き出し、掛け布団を捲って体の位置を奥へずらした。澤はおずおずと枕を置いて、布団に身を横たえた。
「あの、いつもごめんね」
 呟くようにそう言った相手の意図を読み違えた榛名は、天井を見たまま答えた。
「別にいいよ。澤んちの布団大きいから二人で寝ても狭くないし」
「そうじゃなくて……その、部活でのこととか……いつも迷惑をかけちゃってるから謝りたくて」
「部活……? ああ、依田たちのこと?」
 榛名が横に目を向けると、不安げな表情の澤がこちらをまっすぐ見つめていた。その揺れる瞳や、パジャマの襟元からのぞく褐色の鎖骨に、彼女は息を呑んだ。それがあまりに美しく、魅惑的だったからだ。
 その瞬間、榛名は自分の気持ちを封印することを心に決めた。そこは絶対に踏み越えてはならぬ一線であると悟ったからだ。
榛名はさりげなく相手から視線を逸らした。
「それは澤が謝ることじゃないだろ。あいつらは勝手に妬んでるんだから……。それにまあ、おれがお前をいいようにしてるのも事実だしな。完全な言いがかりってわけでもない」
「それは、あの人たちが私たちのことを知らないからだよ。庇ってくれるのはうれしいけど、好きでやってることを邪魔されたくない。余計なお世話もいいところだ」
 そう不満げに言う澤に、榛名はため息をつきたいのをこらえた。
 依田カレンというのは、榛名や澤と同じく二年生の部員だ。彼女は、守備は堅いが攻撃力が今一つの春日中学女子野球部の打線の要となっている典型的なプルヒッターだった。
彼女は入部当初から澤と仲が良く、澤に輪をかけて社交的で、人に慕われる才能があった。守備はそこまでうまくないが、打撃に優れていて、ここぞというときにヒットを放ってくれる選手だった。そのため、部内での信頼が厚く、発言力が比較的大きかった。
 一年半前に初めて顔を合わせたとき、互いの印象は悪くなかったはずだった。しかし依田は、榛名が澤を使いぱしったりするのを見て、榛名に対する考えを変えたらしい。やがて彼女は、まるで犯罪者でも見るような目つきで榛名を注視するようになった。反目は日に日に深まり、ここ最近、連絡事項以外で彼女と話した記憶がない。
依田に与する者たち――つまり同学年の部員の半数以上――も彼女と同様、澤の肩を持っているために、彼女らとの関係性もまた、良いものとはいえなかった。
 しかし、榛名は、それに対して腹を立てたりはしなかった。澤に対する態度が良くないのは分かっていたし、誤解されるのにも慣れていたからだ。彼女は、ひとに反感を抱かれても気にならない性質だった。何と言われようが、それは彼らの意見に過ぎず、自分に影響を与えることはない、と割り切っていたからだ。
 ただ一人、榛名がどうしても割り切って付き合えないのが、真横で横たわる友人だった。
澤の繊細さ、脆さ、そして〝事故″に対する罪の意識は榛名を怯えさせ、相手との間に境界線を引くことを困難にした。誰に対しても一歩距離を置いて付き合うことのできる彼女が、澤の前でだけは自分を保つことができなかった。
〝事故″のせいで歪になった関係は、もはや修復不可能なところまで崩れていた。だから、例えば、好きだ、などと告白をして、友人の域を超えるようなことになれば、いよいよ後戻りができなくなるに違いなかった。
 依田の理不尽さを熱心に説く相手に適当に相槌を打ちながら榛名は思った――仮に今、自分が付き合ってくれ、と言ったならば、内心で思うところがあろうと、澤は絶対に拒絶しないだろう。それはふだんの態度から見ても明らかだ。ここ最近、彼女が自分の要求に対してイヤと言ったことなど無いのだから。
だからこそ、それは決して言ってはならぬ言葉なのだ。侵してはならぬ領域なのだ。友人として彼女を見守ってゆくことが、榛名瑠加の娘たる自分に課せられた使命なのだ。
 それを再認識した瞬間、澤が近くにいる気まずさは雲散霧消した。榛名は幼馴染が伸ばしてきた手を握った。そして、その感触がどんな感情も誘起しないことを確認しながら、やがて深い眠りへ落ちていった。

 時は二〇五六年の秋。野球少女の榛名玲が甲子園を目指して、野球の名門、栄徳高校へ足を踏み入れる約一年半前のことだった。

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