栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新停滞中)

15.大輪の花1

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                             updated 18.7.3

漆黒の夜空に、今夜――というか今年初めて煌く火花が散る。その瞬間、露店を流していた人々が一斉に動きを止め、空を見上げた。
それにつられるようにして榛名が空を仰ぐと、緑とピンクの点が交互に配列された大輪の花が空いっぱいに咲いた。性別も年齢も様々な人々の歓声を聞きつつ、榛名は過去に思いを馳せた。毎年互いの家族と一緒に行った近所の神社の石のご神体や社、こじんまりした寺内に鬱蒼と生い茂った木々や、それが発する、夜露を含んだ芳醇な香りがまざまざと蘇り、ほとんど榛名の鼻腔をくすぐったかに思われた。
そして、周りで騒ぐ友人たち――羽生葵や築地真琴――を横目に見た途端、今ここにはいない、友人と呼べるかさえわからないが、どんな友人よりも気になる相手が不意に強く意識されてきて面食らう。
さっきまでは彼女の顔などすっかり忘れていたはずなのに――いや、そう思い込ませていただけかもしれないが――、突然その映像が鮮明に瞼の裏に浮かび、花火が色褪せていった。
彼女――澤はなぜここにいないのだろう、という思いがふとわき上がる。それから榛名はつい三日前に澤が比較的大きな発作に見舞われたことを思い出し、自己中心的な思いを抱いた自分が嫌になった。
あんな状態でこんな騒々しい場所に出てこれるわけがないのに、自分勝手にも彼女と一緒に花火を見たい、高校最後の夏、人生の決定的な分岐点に至る直前のこの時期を共に過ごしたい、と思ってしまったのだ。
榛名は吐息をつき、本当は今日も来るつもりはなかったのだが、と各々屋台でゲットした戦利品を手に空を見上げている元チームメイトたちとクラスメイトを改めて観察した。
本当は、両親不在の澤の家で――いたとしてもいないのとさほど変わらない、冷たく色味のない箱の中で――、精神的なダメージが身体にまで波及し、熱を出して臥せっている澤に付き添っていてやりたかった。元々そういうつもりで彼女の実家を訪ねたのだが、相手が榛名を頑として家の中に入れてくれなかった。
彼女は榛名に祭りに行くように言い、門前払いを喰らわせた。それで仕方なく、羽生や築地や石神の誘いに乗ることにしたのだった。
しかし、高校の近所にある公園に来たはいいものの、最初から澤のようすが気になって祭りをいまいち楽しめずにいた。
 リンゴ飴も大しておいしくなく、射的も面白くなく、花火も美しく感じられない――祭りに来た意味がほとんど皆無に思われた。
そしてそれは、つい先日甲子園の夢を永遠に絶たれたことによるのではなく、友人の不在によるようだった。
中学を卒業するまでほぼ毎年のように行われていた澤家と榛名家の合同行事「花火鑑賞会」は、していた当初はさほど感じていなかったのだが、今改めて思い返してみると、とても貴重な行事だった。澤とは特に何を話すわけでも、何をするわけでもなかったが――澤よりはむしろその姉六佳とより懇意で、会話も弾んだ。しかし、会話の多さが必ずしも心的距離の近さを表すものでないことは、当時の榛名も知っていた――、色とりどりの光に照らされてカラフルに染まる相手の横顔を、その口もとや目もとに浮かんだ笑みをただ見ているのも悪くなかった。一度は心の奥底に封印した想いを、一時的にであれ解放できるとき――それが榛名にとっての花火大会だった。
だから、ここまでずっと交わり続けていたそれぞれの人生の道が別の方向へと延び、離れてしまう直前のこの高三夏という時期を大事に過ごしたかった。昨年やおととしと違って部活の大会が県大会で終わったからなおさらその想いは強かった。
だというのに、結局自分は澤を除いたいつものメンバーと、家族では一度として行ったことのない公園の夏祭りに参加して、夜空を見上げて叫んでいる。改めてそういう現実を認識し、気落ちしそうになったが、榛名は夏祭り――特に花火大会となるとなぜかタガが外れる危険性が上がる自分がむしろ、澤と居合わせなくてよかった、と思うべきなのだ、と自分に言い聞かせ、首を振って、もう澤のことは考えないようにしよう、と心に決めて、仲間と談笑している石神に後ろから軽く体当たりをし、その肩に手をかけた。
「何の話?」
 すると相手は一瞬ビクッとしてから答えた。
「えーとね、休み中にみんなでどこかに行こうって話をしてたんだけど……」
「みんな?」
 石神は頷いた。
「葵ちゃんと、まこちゃんと、夏ちゃんと、はるちゃんと、一樹ちゃんと、私の六人で。進路のこととか……みんな色々あるとは思うけど、一旦はそれを忘れて楽しもうって」
 その言葉に、右どなりを歩いていた築地が頷いた。
「そうそう。メンドクサイことは忘れてパーッと楽しもうや」
「おーいいね、卒業旅行か」
「まあ、泊まりはしないねんけど」
「あ、だったらさ」
 榛名はふと名案を思いついた。
「ウチに来れば?学校からそんなに遠くないし……羽生と築地はいつ帰省するの?」
 実家がそれぞれ東京、大阪にある二人は長期休暇になると寮を空けるのだ。特に今年は、予想外に早く夏大が終わったため、彼らの里帰りも早くなると思われた。
 榛名の問いに、二人はすこし考えたのちに答えた。
「たぶん、八月初めまではこっちにいると思う」
「ウチは七月一杯で帰ると思うわ。なんや早く帰って来いゆわれてるから……ママがな、寂しがりやねん」
 そう言われて榛名は築地の母親を思い出した。初めて対面したのは入寮のときだったが、上品で明るく、誰からも好感を持たれそうなご婦人だった記憶がある。〝マコトちゃん〟と築地の名前を連呼していたのをよく憶えている。
 その後も何度か顔を合わせる機会があったが、彼女の印象は変わらなかった。
「そうか。じゃあやるとしたら七月末だな。イシと飯田は?この日ダメとかある?」
 榛名が聞くと、飯田は首を振った。
「特にない」
「イシは?」
「三十日はちょっと……お姉ちゃんが来るから」
「宮城(こっち)に戻ってくるのけっこう早いな。夏休み、いつからだっけ?」
 石神の姉は今年埼玉の大学に進学している。彼女も妹同様野球を嗜んでおり、名門と名高いその学校で日々練習に明け暮れているらしかった。榛名はまだ一度も顔を合わせたことがなかったが、石神の口ぶりから二人の関係性の良さは伝わってきていた。
 ときどき、同じスポーツを、同じ真剣さで、その上同じポジションでやっている兄弟姉妹がいたら、はたして自分は彼女ほどてらいもなく相手を慕えるだろうか、と榛名が自問しがちになるほどの仲の良さだった。
 彼女の姉は休みのたびに石神に会いに帰省してきている。ふたりの、穏やかで、協調的な関係に思いを馳せていると、当の石神はすこし言いにくそうに答えた。
「……休みには……入ってないんだけど、週末だから……」
「そうか」
 榛名は正直、石神にはその姉と自分をそろそろ引き合わせてほしいと思っていて、ウッカリそれを口に出しかけたが、相手の表情を見てやめた。彼女は姉のことになると急に口数が少なくなるのだ。
 何か事情があるのだろうな、と前々から思ってはいたが、榛名は、向こうから打ち明けられない限りその話題に触れるつもりはなかったので、それ以上追及しなかった。
 しかし、それで会話を打ち止めにした彼女に――余計にも――代わって築地がさらに話を掘り下げた。
「優香さん、やったっけ?よう来てはるわりに、ウチ一回もお会いしたことないねんけど。二人は?」
 すると、榛名と同じく石神の姉の話題を掘り下げたくなかったようすの羽生は歯切れ悪く答えた。
「ないけど……」
「やんなあ?榛名は?」
「いや……」
 榛名はそっけなく首を振って、話の軌道修正をしようと他の話題を探したが、なかなか見つからなかった。彼女が口を開く前に、築地が話を続けた。
「なあ、今度こそ会わせてくれん?もう部活で会うこともないし、京ちゃんとはクラスも違うやろ?これが最後のチャンスな気がするねん。
 うちな、実はお姉さんが八城でがんばってるいう話を聞いてからずっとお話ししたみたいと思っててん。けどなかなか今まではその機会がなかったやろ?だから今回こそはぜひお姉さまと――」
「無理言うな。お忙しいんだろうから、おれたちが行ったら悪いだろ?」
 ペラペラと喋りまくる築地に危機感を覚えた榛名は咄嗟に話を遮った。
「やけど……きょうだい水入らずの時間はこれまで十分取れてたやろ?最後くらい会わせてくれても……」
「まこっちゃん」
 なおも食い下がる築地に、羽生は首を振って、低い声と鋭い目線で圧力をかけた。相手の示唆を解したらしい築地はそこでやっと口を噤んだ。そして少しバツが悪そうな表情で羽生と石神に交互に目をやった。
 気まずい沈黙が四人の間に落ちた。榛名は羽生と顔を見合わせ、この沈黙を打破するような何か別の話題を振らなければ、と焦っていたが、焦れば焦るほど頭の回転が遅くなるようで、何も思いつかなかった。それは羽生の方も同じだったようで、酸欠の金魚よろしく口をパクパク開閉させながら話題を探しているのが見てとれた。
 榛名たちのいる一帯だけが、驚くほど静かだった。空には大輪の花が咲き、行きかう人々は姦しく、屋台の呼び込みは賑やかで、様々な香りが鼻腔をつく、まさに〝喧騒〟の真っただ中にいるはずなのに、榛名の周囲の気温は低く、深閑としていて、まるで真空地帯にいるかのようだった。
 そこで榛名は不意に、こちらに近づいてくる騒がしい一団に気が付いた。周囲から完全に切り離された空間の中で、顔も個性もない大衆の中でなぜ彼らに目をやったのかはわからない。単に騒がしい人々よりもさらに騒がしかったからかもしれないし、人数が多かったせいかもしれないし、それ以外の理由によって目がいったのかもしれない。後から考えてみてもしっくりくる理由は見つからなかった――榛名は宿命論とか、〝第六感〟とかいう類の、実際に存在するかどうかを絶対に証明することができないものをあまり好まなかったために、そういう方向性に頭が働かなかったのだ。しかし、あとから考えてみると、実際には、そういう理由づけをする人の方が多そうな展開が榛名を待っていたのであるが――。
 しかし、自分の気を引いた理由が何であれ、結局榛名は天の配剤に感謝することになった。向こうから人込みを押しのけつつ向かってきたのは若い女たち――それも榛名と同世代の高校生たちだった。彼女たち――男子生徒はひとりもいなかった――は笑いさざめきながら、その薔薇色の頬から瑞々しい若さを発散させていた。その匂い立つような色香と、未来ある者特有のエネルギーを眩しく感じながら見ていると、その輪の奥から、今ここにいるべきではない人物の顔がちらりと見えた。
 彼女――自宅で高熱を出して臥せっているはずの幼馴染み――の姿は、目を擦って再び一群の方に視線を向けたときには跡形もなく消え去っていた。
 榛名は一瞬己の正気を疑い、そしてその考え自体に怯えて打ち消した。それから、澤一樹の幻覚を見た意味をあまり深く掘り下げて考えないように注意しつつ、目の前の仲間たちに注意を戻した。考えてみれば、幼馴染みのことなど心配している場合ではなかった。先ほどとはまた違った沈黙を破るひと言を探していると、ありがたいことに羽生が先に口火を切ってくれた。
「そーいえば今日まだ何も食べてなかったよね。お腹空かない~?リンゴ飴買いに行こうよ」
 築地はあからさまにホッとした顔付きで、即座にそれに同意した。
「ウチもお腹空いてしゃーないわ。行こ行こ!」
「そうだな。行こう」
 実を言うとリンゴ飴はさほど好きではなかったが――飴の部分だけ売ればいいのに、質の悪いリンゴをわざわざ中に入れる意味が分からなかったからだ――、せっかく変わった空気にわざわざ水を差すようなことをしたくなかったので、榛名は頷き、先に立って歩き出した友人のあとを追おうと足を踏み出した――まさにそのときだった、件の集団と接触したのは。
「あれ、まこっちゃんじゃない?」
 祭りと花火の大音量の中でも聞こえる、よく通る声でそう叫んだのは、名前は知らないが顔は知っている、隣か隣の隣か、東棟にあるクラスのどれかに所属していると思われる生徒たちだった――私立栄徳高校の校舎は、北に向かってコの字型の口がより開いた、少し深めの皿の断面図のような構造をしていて、その建物の南側の底の部分に、榛名たちのクラスを含む三クラス――3―1から3―3――が、その底辺から北東にむかって延びる東棟に残り二クラス――3―4と3―5――があった。正門は北側にあり、そこから正面玄関に続くタイルの小道の中央部には噴水がある。優美な白亜の像のそれを中心としてつくられた前庭を囲むようにしてそびえる校舎の辺はそれぞれ「南棟」「西棟」「東棟」と呼ばれ、どの棟のどちら側からの景観が一番かはしばしば生徒間で論争のタネになっていた――。
どうやら築地と知り合いらしい彼女らの輪に囲まれている、いるはずのない人物を認めて、榛名は目を見開いた。 
「お前、何でここに……!?」
 しかし榛名の言葉は、花に引き寄せられて集まってきた蜂みたいにブンブン唸りながら群がっているクラスメイトの一群に遮られて相手には届かなかったようだった。彼女らは、榛名がコンタクトを取りたかった相手の前後左右をがっちりガードしていて、常人ならば入る勇気が出なかったに違いない――常人ならば。
 しかし榛名は、長年女子の集団の中でやってきた経験と、度胸と、ヒトの目を気にしないという長所の三つの強みを持ちあわせている稀有な人間だった。それで彼女はためらいもなく集団の輪の中に突入し、澤の上腕を掴むことができたのだった。
「悪い。ちょっとコイツ借りる」
 そして相手の反応を待たずに彼女を引きずり出し、羽生達の方に向き直って、ちょっと澤と話あるから、と言いかけたが、言い切る前に築地がいいよ、と叫んだ。その表情に何か含みがあるような気がしないでもなかったが、榛名は構わず踵を返し、澤を公園の隅の人目に付かないところに連れて行った。
 相手ははじめ何か言っていたが、やがていつも通り口を噤み、抵抗しなくなった。
 木立が鬱蒼と茂ったその場所で、榛名は相手を解放し、腕組みをして対峙した。澤の頬は薄暗がりでもわかるほど紅潮していた。
「で、何でココにいるわけ?」
 なるべく穏やかな声音で話したかったが、どうやらそれは成功していなかった。自分でもわかるほど声がささくれ立ってしまっている。
「家で休んでるはずだったよな?熱出て、吐き気で何も食べられなくて、頭痛ヒドくて、つい一時間前はとても出歩ける状態じゃなかったような気がするんだが……おれの記憶違いか?」
 榛名の言葉に澤はモゴモゴと何か口にしたが、言葉にならなかった。もしくはなったとしても榛名の耳には届かなかった。
 彼女は息をはき出して気を落ち着けようとしたがやっぱり成功しなかった。そもそもストッパーが外れていたうえ、止める者が誰もいない一種の密室で一度噴き出した怒りのことばは留まってくれなかった。
「何で出てきたんだよ?ベッドから出るのにも一苦労ってありさまだったろ?お人好しもここまでくるとビョーキだな………おれ、言ったよな?誘われても断れって。お前が押しに弱いの知ってるクラスメイトとかファンとかに気をつけろって、何度も口酸っぱくして言ったよな?自分の身体を優先しろって言ったよな?全部無視か?親切心から言ったけど、余計なお世話だったのか?……………それとも、おれと行くのがイヤだったのか?」
 自分で発した言葉に榛名自身が怯んだ。イライラが純粋に最後の夏大での敗北だけに起因していたわけではなかったことに気付いたからだ。榛名の怒りの炎に油を注ぎ、口から出る言葉を制御不能にさせたのは、彼女が最もさげすみ、敬遠していた感情――嫉妬だった。
 榛名が、自分以外の人間と祭りにノコノコ出てきた澤に理不尽な怒りを抱いたのは、この醜い感情のゆえだったのだ。
 そしてそのことを自覚したその瞬間に、劇情の波が引いた。
 榛名は自分に心底嫌気が差すのを感じつつ、謝罪の言葉を口にした。
「悪い、感情的になった」
 しかし、その言葉は明瞭には発されなかった。澤が同時に口を開いたからだ。
「ごめんなさい……」
 相手は身を縮めて震える声で謝った。
 明らかに言い過ぎだった。榛名は慌てて、ちょっとイラついてて言い過ぎた、とフォローを入れたが、伝わったかどうかは定かではなかった。澤が足元に目を落としたまま、こちらを見ようとしなかったからだ。
 榛名は相手に近づき、下から顔を覗き込んだ。憂慮していた通り、澤は泣いていた。彼女は高熱のために既に紅かった顔を更に紅潮させて睫毛を震わせていた。
 その姿に一瞬――ほんの一瞬だけだったが、劣情を感じてしまった自分に吐き気を催しつつ、彼女は相手の両肩を掴んだ。
「ごめん……ごめん……傷つけるつもりはなかったんだ。……泣かないでくれよ……」
 小学四年の秋に起こってしまった〝あの事件〟から――正確には〝あの事件〟によってこの幼馴染みが自分に対して負い目を抱くようになってしまったことを知ったときから――自分が澤の弱っている姿、特に涙に弱くなったことを榛名は知っていた。知っていたが、特にそれに対して策を講じることができないままズルズルとここまで来てしまったので、今回もまたどうすることもできなかったわけだった。
「ホラ、顔上げて……ああ、ったく……どうしたら泣きやんでくれるんだ?何でもするから……泣くのはやめてくれ」
 困り果てた榛名がそう言うと、澤のようすが微妙に変化した。僅かに顔を上げた相手に、榛名はこれ幸いと畳みかけた。
「球投げるんでも何でもやってやるから」
「……本当?」
「本当。法に触れない範囲のことなら何でも。――八つ当たりして悪かった」
 再び榛名が謝ると、どうやら涙が止まったらしい相手がおずおずと言った。
「じゃあ……一コだけ、お願いしてもいい、かな?」
「いいよ。何?」
「花火……」
「花火がどうした?」
 知的レベルが高くて語彙力はあるはずなのに、自分が主張する段になると途端にたどたどしくなる相手を、榛名はいつものようにサポートしながら先を促した。
 澤はしばらく沈黙したのち、意を決したようにこちらを見た。
「一緒に、見てほしい……」
 その願いは完全に想定外だった。それでも榛名がそこそこの対応をできたのは、最低一回は無意識の中で澤にそういったセリフを言われる場面のシミュレーションが行われていたからに違いなかった。
 しかし榛名は、そういった都合の悪い真実は忘れることにしていたので、次の瞬間にはそのことは記憶から消え去っていた。
「ちょっとだけな。じゃあ移動してもう少し見晴らしの良いところに――」
「ここでいい」
 榛名が言いきらぬうちに澤が遮った。彼女は静かに、しかしきっぱりと同じ言葉を繰り返した。
「ここがいい」
 特に反対する理由もなかったので、榛名はわかった、と頷き、ポケットを探ってティッシュを取り出した。そして石を足でどけてからそれらを自分と澤の足もとに敷き、その上に座った。
 花火は上半分くらいしか見えなかった。それでも澤は満足げに見ていた。
「キレイだね」
「……ああ」
 時間がゆっくり流れていた。夜風は優しく榛名の服から露出した部分の肌を撫で、土や植物の香りはかぐわしく、上空で何度も何度も咲く花はまばゆいばかりに輝いて世界を照らしていた。この一瞬のために今までの苦難があったのではないかと思わせるほどに満ち足りた空間だった。
 榛名はぼんやりと、しかし明確に、自分と幼馴染みのときが終わったことを自覚した。
 澤がおもむろに口を開いた。
「花火がなぜ美しいかについての持論を言ってもいい?」
 青春は終わった。
「私はね、たぶん――」
 若く、エネルギーと希望に満ち溢れて、どんな将来も思い描ける黄金時代は終わった。
「花火がこんなにキレイなのは、一瞬で消えてしまうからだと思うんだよ」
 未熟さと未完成さと不完全さが祝福される時代は終わった。
「すぐに消えちゃうのに、死力を尽くして輝こうとしている姿が美しいんだと思う」
 すべてが新鮮で刺激を与えてくれる時期は終わった。
「見た目がどうこうじゃなくてね」
 これから確実に、澤との距離は開いてゆく。
「その過程を重視する姿勢が心を打つんだと思う」
 腐れ縁の相手からしばらく会っていない幼馴染みになり、昔の友人になり、やがてただの知人になるだろう。卒業アルバムや、とっておいたユニフォームを見たときにふと青春時代に時間を共有したことを思い出すくらいの相手に。
「まあ自分に対する戒め、みたいな意味合いもあって強く惹かれるんだろうけど……榛名さんは?どう思う?」
 それでもいい、と榛名は思った。むしろ、ずっと自分に対する負い目を抱き続けてきた相手にとってはそのほうがいいのだ。
「何で花火はキレイなのかな?」
「世界を照らしてくれるから」
 榛名は静かに答えた。
「太陽よりもはるかに短命でワタワタしてるけど、一生懸命工夫して世に彩を与えてくれるから。だからキレイなんだと思う」
 そう言って澤を瞥見すると、目が合った。相手は興味深そうな眼でこちらを見ていた。
「なに、おもしろかった?実はお前が思ってるよりロマンチストなんだよ、おれ」
 榛名の言葉に、澤は首を振った。
「そういうんじゃなくて……その答え、いいなって思って。たとえ最終的にしくじっちゃったとしても、それまでの努力とかやったことは消えないわけで……そう考えると心に響くなあって思って」
「結果より過程、だろ?昨日の自分より一ミリでも成長できてりゃいーんだよ」
「そっか……うん、そうだね」
「特にお前は――」
 榛名は相手の方を今度はちゃんと見て言った。
「〝全か無か〟的思考に陥りやすいから気をつけろよ。野球にしてもなんにしても、極めようって精神はすばらしいと思うし、それで結果も出してきたんだろうけど、いずれはある程度のところで妥協できるようになったほうが良いと思うから……人生妥協だよ。野球に人生かけてきて高三春にエースナンバー失った奴の言葉だから結構説得力あるだろ?」
「それは……でも、エースは玲さんだから。これまでもそうだったし、この先もそれは変わらないと思う――どんな投手と組んでも……私のエースはずっと玲さんだけだ」
 その言葉に歓喜せずにいるのは不可能だった。しかし榛名は平静を装ってこう返した。
「それ、投手には絶対に言うなよ。組んだ相手に失礼だからな。一樹は失言癖があるから……中学ン時の騒動、忘れたわけじゃないだろ?……特に飯田には絶対言うなよ」
「夏ちゃん……?どうして彼女が出てくるの?」
 心底不思議そうな顔でそう聞いてくる相手に榛名は内心ため息をついて、この激ニブ女が、と澤を罵った。
「とにかく言うなよ。……さあ、そろそろ帰るぞ。夏風邪はこじらせると厄介だからな」
 榛名はそう言って立ち上がり、澤を促した。まだ夜空の花々はかわるがわる咲き続けていたが、相手のようすからこれ以上の長居は無用と判断したからだ。
 素直に立ち上がって榛名の横に並び立った彼女の顔はさきほどよりも赤く、足取りもおぼつかなかった。熱が上がってきたらしい。
「支え、いるか?」
 そう聞くと、澤は小さく頷いて遠慮がちに榛名の肩に腕を回してきた。榛名は相手の重みと夏の衣服の薄布ごしに伝わってくる体温と鼻腔をくすぐる良い香りをできるだけ意識しないようにしながら歩き出した。木立に囲まれたその異空間を出る直前に、澤が不意に口を開いた。
「私が今晩あの子たちと一緒に来たのはね、断りきれなかったからじゃないんだよ。……本当は……玲さんに会えると思って……それで誘いに乗ったっていうのもあって……ヘヘ、玲さんには怒られちゃったけどね」
 この言葉を自分が終生忘れ得なくなることを、このときの榛名はまだ知らない。

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