栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新停滞中)

13.夢

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榛名玲は、不意に自分の周りを取り囲む観客の存在に気付いた。加えて、彼らのほとんどが相手の応援をしていることも認識してしまった。その瞬間、この日初めて足が竦んだのを感じた。
夏の甲子園一回戦の今日、対戦相手は近畿の強豪だった。アウェイであることを覚悟の上で臨んだ試合、ここまでは比較的声援を気にせずに投げられていた自覚があった。しかし、八回裏で走者を一人出した直後から、スタンドからの応援は地鳴りのごとく轟くようになり、今や球場を揺るがしていた。
ボールを握る手に汗が滲む。ここ最近、〝応援負け〟を喫した東北・北海道勢の試合がちらりと脳裏をよぎる。イヤな感じだった。
かつて、白河の関を越えられない、と言われてきた東北勢が初の全国制覇を成し遂げたのがおよそ四十年前。以来、東北が弱いというイメージは徐々に薄れていったが、完全になくなったわけではなかった。それに、そのイメージだけではなく、実際問題、甲子園球場の位置からしても、北部地域はやはり不利だった。
榛名は、自分の表情がいつも通りであることを願いつつ、振り返って仲間たちを見た。そして、笑顔で声をかけてくる羽生葵や、いつも通り涼しい顔をしている月島絵梨奈を見て、安堵に肩の力が抜けてゆくのを感じた。五回で榛名と交代し、以降レフトに入っている丹波が両手を振りまわして何かを叫んでいた。
榛名は口角を上げて再びバッターボックスの方に向き直った。先ほど、驚くほど遠く見えていたミットが今はいつも通りの距離に近づいてきていた。
幼馴染はニコッと笑ってサインを出した。指示は、内角の一番低い所、ゾーンからギリギリ外れた位置に真っ直ぐ――。
8番バッターは必死の形相でベースに覆いかぶさるように立っていたが、榛名は、自分がそこに投げ切ることができることを知っていた。
――当たってでも塁に出たい?
 榛名は内心相手を笑って投球に入った。
――当たってでも出なきゃなくなるような状況に、そもそもするなよ。勢いで勝てるほど甘くないんだよ……。
 球が指先を離れてゆく。打者は思った通りよけなかったが、その体には当たらずミットに収まった。
「ワンナウト!」
 榛名は汗を拭ってキャップをかぶり直した。振り返って人差し指を突き出すと、チームメイトたちは口々に叫びながらそれに応じた。
 それから再び向き直ると、いつの間にかタイムを取ったらしい澤がすぐ目の前にいた。なぜ彼女はこうも足音がしないのだろう、と大きく跳ね上がった心臓のあたりを思わず手で押さえ、それから、軽く息を吸い込み、何?と聞く。すると、澤は口元をミットで隠してから口を開いた。
「次ね、初球で走ってくると思う」
 榛名もまた口元をグローブで覆って応じた。
「初球かどうかは知らんが、まあ走ってはくるだろうな」
「いや、初球だと思う。――向こうのベンチ見てみなよ。あの監督、相当焦ってるよ?」
 澤は三塁側を横目で見ながら続けた。
「彼女は終盤、勝敗がきまる場面で結構安易に走らせるんだよ。だから初球、はずしてね?」
「わかった」
 榛名は頷いた。澤は榛名の方に目を戻し、微笑を浮かべて付け加えた。
「私はもう、一点も向こうにやるつもりはないから。ウチが僅差で勝つような相手じゃないでしょ?今叫んでる人たち全員、黙らせてやろうよ」
 榛名はその言葉に一瞬、呆気にとられた。
〝ウチが僅差で勝つような相手じゃない〟?
 確かに、データ上はそうかもしれないが、それを今、このアウェー感の中で言い放てる度胸には恐れ入った。その神経の太さに脱帽するのと同時に、澤は投手になるべきだったな、と心の中で思った。
 こういう場面で自分たちの投手が、彼女みたいに涼しい顔をしていることほど、チームを安心させるものはない。そういう意味では、一瞬でも足が竦んでしまった自分はさほど投手に適性がないのかもしれない。
 だけど今ここに立っているのは自分だし、エースなのだから、投げるしかない。〝いつも通りに〟投げて、アウトを取るしかない。榛名は腹を括って次の打者と相対した。
 一塁ランナーは澤の推測通り初球で塁を蹴った。しかし、二塁には、彼女の到達より前に、既に白球が到着していた。
「ツーアウトー!」
 味方が俄然活気付いて声を張り上げる。榛名は少し間合いを取ってマウンドの土を均した。
 相手の9番はここまでの打席、まだストライクからボールになるシュートを見極められていなかった。それから入るのが良いかな、と考えていると、澤も同じことを考えていたらしく、初球、外に外れるシュートを要求された。きっとバットを振るだろう、と思って見ていると、相手は予想通り引っかけた。
 ショートゴロになった打球を月島が軽くさばいてファーストに送球する。スタンドの歓声がやんだ。
 榛名は拳を握り締めて小さくガッツポーズをした。駆け寄ってきた羽生や金沢悠木が肩を叩いて、ナイスピッチ、と笑顔を向けてきた。外野から猛スピードで戻ってきた丹波ミサキが、あと三つですよ、と叫ぶ。相変わらずポジティブだなー、と思いながらベンチに戻ると、先んじて帰ってきていた澤が榛名たちを認めて、次の回、取るよ、と言った。大きな声ではなかったが、その自信と確信に満ちた声にチームメイトは一斉に彼女の方を見た。
「もしかしてがあるかもしれない、なんて思えないくらい追い込んでやろう」
 するとすかさず金沢と丹波が、おお!と叫んだ。月島は、相変わらず容赦ねー、と言いながらも笑みを浮かべていた。桃井は満足げに頷いて、できれば打って出塁しなさい、と先頭打者の澤に指示した。彼女は頷き、防具を外して棚に置き、ダグアウトの隅のバット入れから自分のものを引き抜き、それを検分するように眺めた。榛名は無関心を装ってさりげなくバットの感触を確かめている幼馴染みを見た。その瞬間、世界の音と周囲の人々が消え、榛名は、澤と自分がこの世に二人きりになった錯覚に陥った。そして気付いた。目の前に曝された美しい生き物に。
 何て美しいのだろう、と思った。
 有り余る才能を持ちながら、自分の名誉のためでも、賞賛を得るためでもなく、ただひたすらに、ひたむきにチームを勝利に導くその姿が。サインに首を振られても、組み立てにケチつけられても、文句ひとつ言わずに従う、その懐の深さが。誰のことも批判せず、批判されても動じない、凪のような穏やかさが。
 彼女の清冽な魂が光り輝いて、それはほとんど目に見えるようだった。可視光線になりそうな不可視光線に見いっていると、不意に澤が伏せていた目を上げて榛名を見た。暫時、視線が強く絡み合う。視線もまるで光っているようだな、と思いながら、何か取り繕う言葉はないかと脳内を検索していると、相手が口を開いた。
「勝とうね」
榛名は頷き、バット片手に打席に向かう澤の背中を叩いて送り出した。
澤はすぐに、桃井に言われた通り、少し内に入ったボールを引っ張って二塁打にした。それを榛名の横で見ていた月島が、ここで打てるのが澤ってカンジだよな、と誰に言うでもなく呟いた。
 確かに、と榛名はリードを取る幼馴染に視線を向けた。――彼女はここぞというところで打てる。
チャンスで、絶対に打たなければならない場面は、案外ピンチの時以上にプレッシャーがかかる。勝利がちらついてつい雑念が入ってしまったり、ここを潰してしまったらどうしよう、という不安で身体が固くなってしまいがちだからだ。しかし、澤は〝普通〟ではなかった。彼女は常に、浮き足立ったり、勝ち急いだりすることなく、冷静に試合経過を分析していた。
やがて主将の菊池東亜がバッターボックスに出てくる。榛名はそれを見ながら、かつて羽生が、実質的な4番は澤だよな、と言っていたことをふと思い出した。少し悔しげに、しかし確かな敬意を持って発されたその言葉を、榛名はずっと忘れることができなかった。どうしてさほど打撃練習もしていないのにあんなに打てるんだろう、と言っていた羽生に、榛名は心の中で反論したのを覚えている。澤が中学時代から打撃練習に熱心だったのを知っていたからだ。確かにそれほど時間はかけないかもしれないが、彼女は真剣に打ち込んでいた。打撃コーチに積極的に指導を仰ぎ、フォームを見てもらったり、バッティングがうまいチームメイトにアドバイスをもらったりしていた。休日返上で一緒に練習したことは数えきれず、練習後に居残った日もまた数えきれなかった。
確かに彼女は、野球を始めた当初から抜群の打撃センスを持っていたが、それを磨き上げたのもまた他ならぬ彼女だった。彼女はことあるごと、投手と捕手が打てないチームは勝てない、と言いながらバットを振っていた。完璧主義のきらいはあったが、榛名は澤のそういうところを心底尊敬していた。
だから、表向き〝才能の上に胡坐をかいている〟とか罵りつつも、実際のところ、榛名はそう思ったことは一度もなかった。むしろ逆――〝才能を持ちながら、飽くことなく努力している人〟として認識していた、
澤は昔からずっと榛名の前を歩いてきたし、これからもそうだろう。だけど――そういう、向かってゆくべき目標が身近にいるというのは本来とても幸運なことなのだ。道しるべになってくれる幼馴染がいるというのは、ラッキーなのだ。
榛名がそのことを改めて自覚したそのとき、打音が球場に響いた。――それは、マウンドに立つ者が最も聞きたくない音であり、かつバッターボックスに立つ者が最も聞きたい音――本塁打の音だった。
呆然と立ち尽くすバッテリーを横目に、澤と菊池が約五十メートルの間隔で塁間を回った。先にホームベースを踏んだ澤はそこで立ち止まり、続いて帰ってきた菊池とハイファイブをした。そして比較的大きな声で、あと二点くらいは取れるよ、とネクストにいた丹波に声をかけた。
その言葉に、相手校バッテリーに動揺が走る。点差が九点になってもなお攻撃の手を緩めようとしない澤の物言いに、動揺するのも道理だな、と一方で相手に同情しながらも、相手を追い詰めることにかけては天下一品の幼馴染を頼もしく思った。

澤の宣言通り、栄徳はその回二点を追加し、十一点差で九回裏を迎えた。打線は上位からだったが、榛名はその後一人もランナーを出すことなく試合を終えた。
試合終了のサイレンが鳴った瞬間、幼馴染のスイッチが切れる音を聞いた。彼女の全身から闘気が抜けてゆき、彼女は、ただの高校生に――それも非常に温和な人物に――戻った。
榛名は横で荷物をまとめる幼馴染を見ながら、不意に、この人物となら、長らく夢見てきたが、夢のままで終わるだろうと思っていた夢――甲子園優勝――を叶えられるかもしれない、と思った。



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