栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新停滞中)

9.温かいひと

 ←10.半身2 →あとがき 2017.9.5 更新
片岡沙織は平凡な選手だった。肩の強さも、足の速さも、打率も、チームの平均くらいだった。野球にかける情熱もどうやら中くらいだった。
 片岡は、特徴がないというのが自分の特徴だと思っていた。榛名玲や藤田メイといった先輩たちのおかげで、宮城県の平均よりは確実に強くなったチーム春日の中で、片岡は完全に埋没していた。彼女は監督に声をかけられることもなく、また、チームメイトに賞賛されることもほとんどなかった。しかし、〝平均〟であることに慣れていた片岡はそれについてさほど気落ちすることなく、地道に練習を重ねていた。
 彼女に転機が訪れたのは、中学二年の夏、大会直前の時期だった。その頃、片岡は、どうやら自分が今大会でも、次の大会でもレギュラーを取れそうにないことを悟って、部活をやめようかどうか迷っていた。彼女は中学に入学した当初から野球部と美術部を兼部しており、もっと絵を描くことに時間を費やしたいと思いはじめていたのだ。体を動かすことが嫌いなわけではなかったが、予想外に強くなった春日中のチームの目指す場所と、自分が求めるモノにズレを感じ始めていたし、選手層が厚くてなかなか試合に出られないのも不満だった。
 それで、なんとなく野球部をやめる方向に心が傾いていた片岡は、そのことを一つ上の先輩である澤一樹に相談しようと思い立ったのだった。
 現在三年生の彼女は一年生のときからレギュラーで、今や、主将で4番で正捕手という大役を担っていたが、近寄りがたさがなく、後輩たちに慕われていた。片岡も練習中によく声をかけてもらっていたから、何かあると彼女に相談に行くのが習い性となっていたのだった。
 大会を目前に控えた六月初めの土曜日の夕方、片岡は思い切ってその心の内を告白しに行った。この時期、投手陣の最終調整などで澤が忙しいのは承知していたが、海のように大きなキャパシティを持っている彼女なら受け止めてくれるだろうと踏んで、言いに行くことに決めた。後から考えてみれば澤に甘えていたのだが、そのときは心の迷いで視界が曇っていて、相手のことにまで気を配る余裕がなかった。
 前日に話を通してあったので、夕方からの練習が始まる前、澤は早めに来て片岡を待ってくれていた。まだ普段着姿の彼女と一階の空き教室に入り、イスに腰掛ける。陽はだいぶ傾いていたが、室内はまだ日中の熱気で蒸していた。
 澤は、暑いね、と言って笑った。まるで片岡の緊張をときほぐすかのようだった。
 片岡はまず時間を取ってもらったことに礼を言ってから、おもむろに本題に入った。婉曲な言い回しが好きでない彼女は、まず結論を述べた。
「自分……部活やめようかどうか迷ってるんです」
 澤は黙ってうなずき、先を促した。
「初戦でもベンチ入りできなかったし、この先も――たとえ先輩たちが抜けても、できそうにない気がするんです」
 前日発表された地区予選の初戦、ベンチ入りメンバー十八人の中に片岡の名前は無かった。
「まあ、チームメイトには恵まれましたし、部活が楽しくないとは言わないんですが、やっぱり試合をしたくて……日々の努力が大事なのはわかってます……でも、練習だけで、それを発揮できる場がないとやりがいが感じられないんです」
「沙織ちゃんは確か、絵も描くんだったよね?」
「美術部です。昔から好きで……正直、もう少しそちらに時間を割きたいというのもありますし……」
「そっか……練習でけっこう時間取られるもんね――あ、そういえばこの間杜の仙台美術館の入場券をもらって余ってるんだけど、いる?」
「え、いいんですか?今、ゴーギャン展やってるから行きたいと思ってたんですよ」
 片岡の言葉に、澤は微笑んでうなずいた。
「じゃあ明日持ってくるね」
「え、いいですよ、明日試合じゃないですか……余裕あるときでいいです」
 言いながら片岡は、とんでもない時期に相談をしてしまったことに初めて気付いた。
「すみません、何か……先輩も色々大変な時期なのに、ヘンなこと言ってしまって……」
「全然」
 澤は首を振った。
「正直、こんな風に相談してもらえるとうれしいんだ。頼られてるなあって実感するっていうか……」
 彼女は、次の日試合を控えているとは思えない穏やかな表情で言った。
「その、絵の方は、何か応募してみたりはしてるの?」
「はい……一応、この前応募した河北展の発表が最近あって……」
「どうだったの?」
「一応、入選したんですけど……」
「すごい!」
 澤は文字通り目を輝かせて片岡を見た。
「いつから展示されるの?」
「九月には……」
「ちょうど大会が終わってる頃だから行けるね……そっかあ、すごいなあ。私は絵の才能無いから羨ましい」
「そんな……大した絵じゃないので見に来ないでください。恥ずかしいです」
 澤は片岡の言葉には直接答えずに言った。
「今回は何を描いたの?」
「菜の花畑と山の遠景ですね。自分的には空と地上のバランスがいまひとつ納得できなかったんですが……」
「でも出してみて良かったね?――大会のあとの楽しみが一つ増えたよ」
 澤はそれから、話を本題に戻した。
「大会といえば……どっちにしろ大会の間はまだいるよね?」
「はい」
「良かった……沙織ちゃん、自覚してないかもしれないけど、沙織ちゃんのこと頼りにしてる子結構いるから大会終わるまではいて欲しいなーと思って……」
「頼りに……?そんなことないですよ、自分は影薄いですから」
 しかし澤は首を振った。
「沙織ちゃんはね、声のかけ方がうまいんだ。特に今の二年生、沙織ちゃんを頼りにしてる子、多いよ?――まあコレは私の勝手な思いなんだけど、三年生が抜けた後、沙織ちゃんには部をまとめてほしいと思ってたんだ……役職に就くかどうかは別として、チームの精神的支柱になってほしいと思ってた……」
 片岡は絶句した。澤がそれほど自分を買ってくれているとは思わなかった。
「――それに、レギュラーになれるかはわからないけど、秋以降、ベンチには確実に入れると思うよ。沙織ちゃんって勝負強いでしょ?監督がそれを褒めてるのを聞いたんだ。沙織ちゃんはバランスが取れていて安定感がある、起用しやすい選手だって言ってた」
「監督が――?」
「うん。……それに、このチームはゆき先輩ありきで強くなったようなモノだから、三年生が抜ければポジション争いもそれほど激しくなくなると思う。彼女を追って入ってきた人たちがいなくなるからね」
 彼女は極めて冷静に、そう先行きを分析した後で付け加えた。
「沙織ちゃん、前に、自分は平均だって言ってたでしょ?」
「ハイ……」
「でも、私は、メンタルが突出してると思う。それが沙織ちゃんの強みだと思う」
「メンタル、ですか……?」
 澤は頷いた。
「私、沙織ちゃんが上がってるの見たことないもん」
「それは、たいして試合に出てないからじゃ……」
 澤は片岡の言葉を無視して続けた。
「それに、自分の言いたいこともちゃんと言える――年上相手でもね。私はつい相手に合わせちゃうから、そういうところ、すごく羨ましいと思ってたよ」
「そんな、買いかぶりすぎですよ――」
「その精神力の強さこそが、沙織ちゃんの武器だと思う。それは野球だけじゃなくて、どの分野でもどの場所でも通用する力だよ。
――私は、無理には引き留めないよ。秋になったら引退だし、その先はそばにいてあげられなくなるからね……それに、私みたいな人間には、試合に出られない人たちの気持ちを本当に理解することはできないと思うし、短い人生の中で大事な時間をただ練習に充てるってことにどれだけ意義があるかもわからない……ましてや、それを押し付けることはできないと思う。……好きなものを追求するってのも十分素晴らしいことだと思うし、もっともっと絵の才能を磨いてほしいとも思う。
 だけど、一コだけ言いたいのはね、ここまで沙織ちゃんと一緒にやってこれて楽しかったってこと。――正直、私、キャプテンなんて向いてないと思ってたし、今でもそれは変わらないよ。皆にうまく声をかけることもできないし、全然引っ張ってもいけてないと思う。チームの士気を上げるのもニガテだし、人の機微にも鈍感だから、チームメイトの仲もうまく取り持てない……だけど、そういうときに沙織ちゃんに声をかけてもらって、本当にホッとしたんだ。自分も一応、キャプテンらしいこと、ちょっとはやれてるのかなって思った」
「先輩……」
「だから、本当に感謝してるよ。――ありがとう」
 その言葉に、片岡は、自分の胸がじんわりと温かくなるのを感じた。そして、もし彼女と同学年であったら、たとえ試合に出られなくても最後まで部活を続けたかもしれないな、と思った。
「先輩は基本、自分を買い被りすぎなんスよ……声かけたというより迷惑かけてただけじゃないスか」
「でも、相談されてうれしかったよ」
 片岡は口角を上げて皮肉交じりに言った。
「相談というか愚痴です。先輩優しいからつい甘えたくなっちゃって……」
「どんどん甘えてきて。……じゃないと不安になるから」
 そう混ぜっかえしてくる澤に、肩の力が抜けていった。
 この人はいつもそうだ、と片岡は思う。
――人を安心させるモノの言い方を知っている。
「大会は、全部見届けます。先輩が全国優勝して、百校からスカウトされるのを見届けます。でもその先は……考えさせてください」
 澤は頷いて、分かった、と言った。それで本題は終わったが、片岡はもう一つ、聞きたかったことを最後に口にした。
「先輩は、どこ志望なんですか?県外っていう可能性もありますか?」
 すると澤は首を振った。
「まだ決めてないんだ。栄徳か桜木辺りがいいかなとは思ってるんだけど……県外は、どうだろう……行ってみたい気もするけど、お金かかるしね……」
「そうですか……野球は、続けるんですよね?」
 片岡の問いに、澤は暫時ハッとした表情をしてから頷いた。
「うん……」
 片岡がそう聞いたのは、たまに、彼女が義務感から練習しているように見えることがあったからだった。試合でも、決して手を抜いているわけではないのだが、夢中でそれにのめり込んでいる表情をすることはほとんどなかった。それよりむしろ、一歩引いたところで試合を観察しているような雰囲気だった。
 部員の多くは、たんに澤が表情を表に出さないタイプの人間なのだろうと思っているようだったが、片岡はそうは思わなかった。澤の醒めた目を見てとっていたからだ。
 それで、もしかすると彼女はさほど野球を楽しんでいないのではないか、と思い、そういう風に問いかけたのだった。相手は予想通り、虚を突かれたような表情になり、一瞬答えに詰まった。そのことで、片岡の確信はより深まった。
……多分、澤はさほど野球が好きではない――しかし、野球には好かれているのだ。
 そういうことって往々にしてあるよなあ、と、澤と共にロッカールームに向かいながら片岡は思った。
 好きなことと得意なことは違う、と言っていたのは誰だったか、もう忘れてしまったが、彼女はその意見に賛成だった。実際、何かを成し遂げた人みんながみんな、好きなことで成功したわけではない。片岡だって、試合にさえ出られれば一番好きなのは間違いなく野球なのだが、周りからよく評価されるのは絵の方だった。
 そうやって、ある程度妥協しながら身を立ててゆく道を探っていかなければならないのだろうなあ、と思いつつ、片岡は澤の後について更衣室に入った。

                          *

 結局、片岡は野球部をやめた。三年生が引退する時期、彼らと共にチームを去った。そのことに、今も昔も後悔はない。練習に時間を取られなくなったおかげで絵に十分に打ち込めるようになったし、その他、やってみたいと思っていたことができるようになったからだ。
 多くの二年生の拠りどころになっている、という澤の話が気にならなかったわけではなかったが、話を聞くことなら部活に入っていなくてもできると思ったし、やめてみて、実際そうだとわかった。
 やがて片岡は三年生に進級し、三年生たちはいなくなった。澤は榛名と共に栄徳高校に進み、他の先輩たちもそれぞれの道へと進んだ。
 彼らのことを誇りに思う一方、片岡は寂しさもまた感じていた。なぜかはわからないが、ずっとそばにいると思っていた人たちがこうも呆気なく自分の人生から退場してゆくという現実は片岡を混乱させ、悲しくさせた。
 それで彼女は、その寂しさを埋めるように創作活動に打ち込んだ。彼女はやがて、得意とする水彩画のみならず、油彩にもチャレンジしてみたり、版画や彫刻に手を出してみたりもした。それまで風景画か抽象画しか描かなかった彼女が人物画を描き始めたのもこの頃だった。
 最初、チャレンジしようと思ったのは、野球部の集合絵を描きたかったからだ。苦手だから克服しようとか思ったわけではなく、筆がごく自然に動いて、気づけば下絵を描いていた。そして、そこに浮かび上がった活き活きとしたチームメイトたちを見るうち、無意識に色をつけていたのだった。
 描きつけないのでタッチは拙かったが、片岡はそのとき、最近描いた絵の中で一番気持ちがこもった絵を描けた、と思った。若干美化して、普段の彼らよりも二割増しに楽しそうな表情で描いたので、写真よりもむしろこちらの方が良い位だった。その絵は女子野球部の面々に好評で、彼らはよく美術室に遊びに来てはその絵を見ていった。
 片岡が二年生の時にいた総勢○名のチームメイト全員を描いたその最前列には、澤と榛名玲のバッテリーと、彼らと仲の良いチームメイトたちが肩を――人によっては首を――抱き合って、見るものに向けてVサインをしていた。皆一様に晴れやかな表情で歯を見せて笑っている。片岡は、下絵の段階では自分自身を後ろの方に配置していたが、色を付ける段になって気が変わり、主将の澤一樹の右斜め後ろに移動させた。
 彼女はまた、意図的に自分の視線を微妙に澤の方に向けて描いた。この絵が実現したら、そうするだろうと思ったからだ。そしてその澤の視線は榛名の方へ向き、それを受けた榛名は正面を向いていた。
 片岡は色使いが鮮やかなため、この絵は多くの部員から〝幻想的だ〟という評価を受けていたが、本人は非常に写実的な一枚だと思っていた。藤田メイの底抜けに明るくて、勝気そうな眼差しも、依田カレンから榛名に向けられた、ねじれた視線も、有村奏絵の神経質そうな笑顔も、そして澤の、どこか翳りを帯びた表情も、現実そのもの――もっと正確に言えば、片岡の目を通して見えた現実そのもの――だった。
その絵の中では誰もが楽しそうだったが、誰もが何かと闘っていた。だからそこに描かれたものはファンタジーではないのだ、と片岡は思っていた。

 片岡が次に人物画を描く気になったのは、その年の夏、栄徳高校が甲子園ベスト8まで勝ち上がったときだった。どうやら高校に入学して早々にスタメンを取ったらしい澤と、背番号18番の榛名が共に戦うのを見たとき――もっとも、それは長い時間ではなかったが――片岡は興奮と共に寂寥感を覚えた。誇らしさを感じるのと同時に、彼らが遠くへ行ってしまったこともまた実感したのだ。苦しいとき、いつもそばにいて黙って話を聞いてくれた澤を思い出し、結局何も恩返しができなかったな、と思ったりした。
 これまで、家族からも、友人からも、ただ寄り添ってもらったことのなかった片岡にとって、澤は一種、異星人だった。年下だからと軽侮することも、片岡の言うことに口を差し挟むこともなく、ただ相槌を打ってくれる彼女と初めて会った時、片岡は軽いカルチャーショックを受けた。こういう人もいるのか、と驚いたことを、今でも覚えている。
 以来、澤は片岡の中で次第に大事な存在になっていった。
 だから、彼女を描きたい、と思ったのも自然な流れだった。片岡は、澤の輪郭を思い出すようにペンを入れていった。写真は見ずに、あくまでも自分の中の彼女のイメージ――温かくて、真摯な人――が表出するよう心がけて描いた。
 全部で四枚描いた絵のうち、最も気に入った一枚を美術部の顧問に見せたところ、気に入られて、美術室に飾りたいからもらえないか、と言われた。片岡はそれに承諾し、以来、その絵は創作活動にいそしむ生徒たちを見下ろすようになったのだった。
 
 やがて片岡は中学を卒業し、進学した。彼女の部屋の押し入れの隅には、以来、彼女が家を出るまで、学校にあげた絵と同じ構図の絵が置かれ、時たま、引っ張り出されては、部屋の灯りのもとにさらされることになったのだった。


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