栄徳高校女子野球部! スピンオフ (更新停滞中)

1.半身1

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初めて会った時から、どこか翳のある人だと思っていた。周りの大半は、彼女を〝根性あるやつ〟と評していたが、成田ちなつの見解は彼らとは少し異なっていた。
鈴木リオは確かに、不屈の精神を持っていたが、同時に、悲しげな、あるいは寂しげな、もはや手に入らなくなったものを永久に追い求めているかのような絶望したカオ――この世を倦んだような、何もかも諦めきったようなカオ――をすることがあって、そちらの表情の方が、より成田の注意を惹いたのだ。彼女は、まさに今そうしているように、窓辺の席でほおづえをついて、はるかかなたの空を、雲を、あるいは山々を見ていることがあった。そう頻繁ではないが、そういうとき、彼女の、白人の血を受けた頬骨の低い横顔は、この世に存在する悲しみや寂しさをすべて凝集させたがごとくうち沈んでいた。基本的に相手の都合をあまり考えない成田も、こういうときばかりは声をかけるのをためらってしまうのだった。
成田は鈴木から目を逸らし、広瀬遥に目を戻した。――この目の前の、底抜けに明るい高校生こそ、鈴木が、〝根性がある〟と言われるようになった所以だった。
親が転勤族で、幼いころから全国津々浦々渡り歩いてきたらしいこの友人はまた、同時に優秀な野球選手でもあった。圧倒的な打率、俊足、強肩、それに緻密なリードと、プレイヤーに必要な資質をすべて持っているうえ、明るくて前向きで気が利く、という素晴らしい性格まで兼ね備えた彼女は、成田たちの在籍する高校――明和学園高校――の女子硬式野球部に入部するや否や正捕手の座を射止め、以来、チームの主軸として部を引っ張ってきた存在だった。彼女はまさに規格外の選手で、スポーツ特待生をわりと多くとる明和学園の野球部の中でも頭一つ抜けていた。
そんな彼女の存在に大方のチームメイトは良い刺激を受け、練習により情熱を傾けるようになったが、一方で、別の意味で刺激を受けた者たちもいた。それは、捕手たち――特に広瀬と同学年以上の者――だった。
一試合に何人も登板できる投手や、代打制度がある野手たちと違って、捕手は、レギュラー以外の者が試合であまり活躍できないポジションだ。だからこそ、正捕手になるということは大きな意味を持っている。正捕手とそれ以外の捕手の距離は、エースとそれ以外の投手の距離よりもはるかに遠く隔たっているからだ。それなのに、広瀬という壁があまりにも高すぎたため、誰一人として手が届く者はいなかった。
それで多くのキャッチャーは、早々に見切りをつけて部をやめたり、監督へのアピールをやめたりしたのだった。
 成田もまた、そういう捕手たちの中の一人だった。捕手選から離脱し、ブルペン捕手として週二、三回部に顔を出す程度になった。試合の応援にも行ったり行かなかったりで、ベンチ入りできなかった大半の部員と同じような、軽い関わり方になった。
 それで、時間に余裕ができ始めたので、以前からやってみたかった茶道を始めてみたところ、存外ハマってしまい、野球部に顔を出す時間はどんどん減っていったのだった。退部を考えなかったわけではないが、それをしなかったのは〝ザ・あきらめない女〟の鈴木が気になったからだった。
 鈴木は、広瀬の化け物じみた運動神経にひるまなかった数少ない部員のうちの一人だった。自分と相手の実力差を自覚していなかったわけではなかっただろうが、彼女はただひたすらに努力していた。卑屈になることも、愚痴を言うこともなく――内心ではどうだったのかは知らないが、少なくとも表向きはそうだった――、自分を圧倒する相手と日々向き合っていた。それで、ベンチ入りメンバーからも、そうでない部員からも、そしておそらくは監督やコーチたちからも一目置かれるようになったのだった。
 部員の中で、彼女のそう言った姿勢を最も好意的に受け止めた人のうちの一人が、当の本人、広瀬だった。彼女は、捕手たちが軒並み戦意を喪失してゆく中、周りに流されずに野球と向き合っている鈴木を歓迎し、ライバルとして認め、関わりを持つようになったのだった。
 その広瀬は今、成田の目の前でメロンパンを齧っていた。彼女はその傍ら、窓の外に目をやったまま動かない鈴木を横目でチラチラ見ていた。
「リオ、元気ないね」
 成田が言うと、広瀬は牛乳パックを手に取り、一口飲んで、再び机上に戻した。
「当たり前やろ……――最後の大会、スタメン取れなかったんやから。ベンチ入りしたってったって、控えの捕手なんかまず試合に出られへん。正捕手がケガでもしない限り、最後まで調整役なんや――そんな役回り、だれが引き受けたがる?」
 成田は、まさにその〝正捕手〟の座を勝ち取った広瀬に相槌を打ちながら、昨晩のミーティングを思い起こした。
 夏の大会が始まる直前の最終調整を終えた部員に、初戦の――そしておそらくは大会を通して大きく変わることのない――スターティングメンバ―が発表されたのは昨日だった。それは、この大会をもって引退となる鈴木たち三年生の命運を分ける発表だった。
 成田の名前はその中に無かったが、当然だと思ったし、落胆もしなかった。元々、それを目標にしていなかったからだ。しかし鈴木は――自分の能力を見限らなかった鈴木は、選ばれなかったと知ったとき、ひどくショックを受けていた。それを目標とし、一生懸命努力していたからだ。それで彼女は今日一日、ずっと、例のさびしげな表情で、外の景色を見ているのだった。
 いつもはそんなことはおかまいなしに鈴木に絡んでいく広瀬も、今日はさすがに声をかけられずにいるようだった。彼女はなおも鈴木をチラチラ窺い見ながら言った。
「ちょっと、行って何か話してきて」
「えーー……私?」
「ほかにだれがおんねん?……ほら、はよして。昼休みが終わってしまう」
「ヤだよ、話しかけづらいフンイキなんだもん」
 広瀬に何と言われようと、今の鈴木に声をかける勇気は無かった。別に彼女が刺々しい雰囲気を纏っているわけではない。声をかけて嫌な顔をされることもないだろう。しかし、あまりに痛々しい表情をしていて、近寄れなかった。
だから断ったのだが、広瀬は成田を説得することを諦めなかった。
「そんなこと言わんと、ね、お願い?メロンパンあげるから」
 広瀬はそう言って無造作にカバンからもう一袋、メロンパンを取り出し、成田の目の前に置いた。
「いや、パンとかは、別にいいんだけど……まあーしょうがないか」
 成田が席を立つと、広瀬はホッとしたように礼を言った。
 成田はゆっくりと机の間をぬって歩きながら、広瀬といえども気を遣ったりするんだな、と思った。姉御肌で豪胆で、自信家で、我が道を行くタイプで、だれを蹴落とそうとも、だれがスタメン落ちしようとも気にもかけないタイプだと思っていたが、実際には違っていたらしい。
いや、というよりも――と、鈴木の前の座席のイスに横向きに腰掛けながら成田は思った――鈴木がトクベツなんだろう。その実直さや誠実さで広瀬の心を揺さぶった彼女が相手だからこそ、気にするのだろう。
成田はそんなことを思いながら、彼女が目の前に座っても身じろぎもせぬ相手に、よ、と言って片手を上げた。すると彼女は、その動作でようやく成田に気付いたように、成田を見た。
「何見てたの?」
 そう聞いて、成田は外を見た。見事な快晴で、普段は見えない遠くの山々までくっきり見えたが、特筆すべき景色というほどのものは何もなかった。
 鈴木は少し苦笑して首を振った。
「特に何も――ボーっとしてた」
「ふうん、そっか……英語の宿題やった?」
「一応はね」
 日本語・フランス語・英語のトリリンガルの彼女の言う〝一応〟が、ほぼカンペキな答案であることを知っている成田は、わからないところがあるので教えてほしい、と頼んだ。
 鈴木はうなずいて、ノートと教科書を取り出した。
成田は急いで自分の席に戻って、ノートと筆記用具をひっつかみ、鈴木の席の前に戻った。途中、広瀬が何かもの言いたげにこちらを見ているのが目に入ったが、成田はそれを軽やかに無視した。昼休みはあと十分――一分もムダにはできなかった。
成田は、英語に関してピカ一の鈴木の、手抜きのないノート(単語の欄には、日本語の意味だけでなく英語のそれもあり、さらに例文がそれぞれにつき最低一文は書き込んであった)を見ながら、わからなかった訳の部分を聞いていった。どうやら完全に〝こちらの世界〟に戻ってきたらしい鈴木は、逐一丁寧に慣用句の用法や文法事項について教えてくれた。

初夏の、さわやかな風が、開け放たれた窓から入ってきて、鈴木の長く、色素の薄い髪をゆらした。伏せられた、彼女のオリーブ色の、日の光を受けた双眼は、まるで美しい湖の底のように澄んでいた。
やがてチャイムが鳴った。成田は鈴木に礼を言って席を立った。そして、教室の中央辺りの席で、エサをおあずけにされた犬のように物欲しそうな表情で情報が提供されるのを待っている広瀬の前に立って、鈴木が思いのほか元気そうであることを伝え、自分の席に戻った。
遅刻厳禁、が口癖の英語の教師は、いつも通りチャイムと同時に入室し、すでに教壇の上に立っていた。厳しいが、よく練られた授業をすることで定評のあるこの教師が、流暢な英語で四十五ページを開くよう指示するのを聞きながら、成田はそっと右ななめうしろを振り返って、広瀬のようすを窺った。
彼女は、先ほどよりいくらかホッとしたような、しかしまだどことなく心ここにあらず、といった表情で左の方――つまり鈴木の方を、チラチラと盗み見ていた。そして、どうやら彼女の気が散っているのを正確に見抜いたらしい教師に当てられて答えに詰まっていた。
彼女が、隣席の生徒の助けを借りながらなんとか問われた問題に答えおおせるのを見届けた成田はテキストに目を戻し、間の抜けた笑顔でブティックの店員とやりとりをしているアキコと、その友人のクラリッサの挿し絵をじっと見つめた。クラリッサは、どことなく鈴木に似ていた。
楽しげに服を選ぶ彼らの姿に、ふと、鈴木とどこかに買い物に行ったことは――下校時の買い食いですらも――ほとんどなかったな、と思った。広瀬とは数え切れぬほど、いろいろな店に足を運んだが――彼女は遊びも楽しむタイプだった――、〝ストイック〟という言葉を具現化したような性格の鈴木が、そういった誘いに乗ることはめったになかった。あるとき、家で何をしているのか気になってその旨聞いてみたところ、空き時間は勉強に充てている、という答えが返ってきて、彼女は本当に高校生なのか、という疑いを持った記憶がある。彼女の両親は確かに教育熱心だったが、それにしても、勉強と野球の繰り返しの毎日、一体全体何が楽しくて生きているのか、成田には理解できなかった。
しかし、それが鈴木だった。単調な毎日を淡々とこなすことができるのが彼女だった。勉強や練習や、家族についての愚痴は一度も聞いたことがなかった。鈴木は、人生を〝そういうモノ〟として受け止めているらしかった。

まもなく夏が――最後の夏が始まる。
成田は、この堅実な友人が少しでも報われることを祈りつつ、赤ペンを手に取った。

*  *

夏がはじまる――鈴木リオは高い空を見上げつつ、そう思った。
高校最後の夏が――球団にアピールできる最後の機会が――すぐ目の前まで迫っていた。
鈴木は手元の資料に目を落とした。そのノートには、神奈川県内のほとんどすべての高校の選手たちの特徴が懇切丁寧に書きこんであった。おそらくは役に立たないであろうそれらをパラパラめくって眺めながら、鈴木は軽く吐息をついた。
今大会も、鈴木はスタメンを取れなかった。入部当初からかなわなかった広瀬との実力差の溝は、最後まで埋まらなかった。どんなにがんばっても、自分は評価されなかった。悔しくなかったわけではないが、しかし、それは鈴木にとって大した問題ではなかった。より問題なのは、このことによって、親をより説得しにくくなった、ということだった。
鈴木は幼いころから、学業面で親から多大な期待をかけられて育ってきた。彼女を医者にするのが彼らの夢だった。
しかし、鈴木ははじめから医者になる気はなかった。まだ彼らには言っていないが、彼女の夢は野球のプレーヤーになること――もっとこまかく言えば、地元球団の神奈川サンライズに入ること――だった。
だから、両親が勧めてきた全寮制の中高一貫の私立――伝統と、質の高い教育で有名な女子校だった――を拒否して自宅通学ができる公立の中学に進み――ここの野球部は弱かったので、シニアに入った――、そののちは野球にも勉学にも力を入れている地元の高校に入った。高校で何とか花開いてプロのスカウトの注目を集める計画だった。
それなのに、このザマはどうだ――鈴木は乱暴に持っていた資料を机に放り投げた。
とうとうレギュラーを取れなかったし、三年間、マトモに試合に出られなかった。こんな体たらくで、スカウトの目にとまるはずがない。
それに、大学に進んでまたがんばればいい、などと悠長なことを言っている時間が、彼女には無かった。というのも、両親は彼女が医学部に入ることを疑っていないし、そんなところにはいったら最後、野球をするヒマなどなくなるからだ。だから、鈴木は高校時代にすべてを懸けるしかなかったのに、結局、努力は報われなかった。
そして今、鈴木は選択を迫られていた。すなわち、両親の期待通りに医者への第一歩を踏み出すか、もしくは、勘当覚悟で自分の道を突き進むか、である。
かつては、このような状況に陥ったとき、自分は臆病風に吹かれて前者を選ぶだろうと思っていた。しかし、実際に現実のものとなってみると、どうやら自分は思ったほど腰抜けではないらしいことがわかった。彼女は、自分の夢を、進んでゆく道を、親に話す覚悟を、ほとんど決めていたのだ。
相手がどう反応するか――それは大きな問題ではなかった。もはや存在せぬもう一人の子どもの分余計にかけられた思いを裏切るであろうこともさして問題ではない。
問題は、この先どうやって、この、大きな強みも持たぬ身体能力の自分が、プレーヤーとしての道を切り開いてゆくか――ただその一点だった。
半身が到達することのできなかった年齢を迎えるたび、半身ができなかった経験をするたび、半身が行くことのできなかった地を踏むたび、鈴木は彼女――双子の姉・詩音――を思い出した。そして今も――彼女は、高三夏という晴れ舞台を迎えることのできなかった姉を想っていた。
彼女の、なっていたであろう姿は、鏡の中に映る己の姿で確認できた。ユニフォームを着た姿がどんなであったか、バットを振る姿がどんなであったかはすべて、自分を見ることで確認することができた。だって、彼女と自分は、一卵性の双子だったのだから。二十三対四十六本、完全に同一の染色体をもつ分身だったのだから。
鈴木は、夜空に瞬く星をぼんやり見上げた。その星々の間を縫うようにして、自分と同じ年まで成長した詩音がかろやかに駆けていた。彼女はいつもそうしている通り、口元に笑みを浮かべて、彼方の方へと視線を向けていた。


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