栄徳高校女子野球部! 本編 (完結)

第22章 封印2

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 榛名玲は、目の前の人物――目をキラキラさせて本を差し出してくる幼なじみ――に危うく舌打ちをしそうになった。前にも一度貸したことのある本を受け取り、くどくどと礼を言ってくる相手に適当に相槌を打ちつつ、彼女は、別のことを考えていた。それは、なぜよりによって今年も、この幼馴染と同じクラスになってしまったのだろう、ということだった。
 高校は澤一樹フリーでのびのび過ごす、というのが、ここ、栄徳高校に進むことを決めた主たる目的の一つであったハズだったのに、澤の裏切りのおかげで高校デビュー計画は水泡に帰した。部活が同じばかりか、入学早々、クラスまで同じになってしまい、日がな一日、自分の劣等感を最も刺激する相手と顔を突き合わせるハメになってしまった。
 特に、彼女と、三年生の投手、横川和海のバッテリーが解消したその年の秋から年度末までは、ウンザリするくらい付きまとわれる日々が続いた。
 それが去年、クラスが別になってやっと解放されたと思ったのに、自由を享受できたのはつかの間だった。三年生に進級した途端に、彼女と再び同じクラスになってしまったのだ。いい加減カンベンしてほしかった。
 チャイムが鳴ったのをいいことに会話を打ち切って席に戻ると、隣席である江夏八紘(えなつ・やひろ)がこちらを向いてくちびるの端を引き上げた。イヤなことを言われそうなフンイキだな、と身構える榛名の予想にたがわず、江夏は言った。
「何の本貸してたの、玲ちゃん?」
 榛名は顔をしかめた。彼女はちゃん付けで呼ばれるのを好まなかったからだ。しかし、この江夏という女――よく、水族館の魚でも見るみたいに人間観察をしてはニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている人物――は、何度抗議してもやめようとしなかった。
 榛名は諦め半分で、それでも一応文句をつけた。
「――その呼び方はやめろって言ってるだろ?………サフォンの〝天国の囚人〟だよ。……ったく、いったい何回読めば気が済むんだか」
 そうため息まじりに漏らす榛名をなだめるように江夏が言った。
「まあまあ………アレ難しいし、一回読んだだけじゃわからなかったんだよ、たぶん」
「だったら図書館で借りればいいだろ。―――なんでおれに来るんだよ?」
 榛名が怒りというより困惑から言うと、江夏はしばし黙り込み、意味ありげな目で彼女を見た。そして手元のペンをもてあそびながら、おもむろに口を開いた。
「それはねえ………いっちゃんが玲ちゃんのこと―――」
「くだらないことを言ったら殺す」
 過去何十回となく、澤との仲に関してからかわれてきた榛名は、相手を遮ってぴしゃりと言った。
 しかし江夏は特に気にしたふうもなく、のんびりと続けた。
「まあまあ、最後まで聞きなって―――オイラは、何でもかんでも恋愛沙汰にもっていきたい人種じゃない。だから、別にいっちゃんが君に〝そういう意味〟で惹かれているとも思わない。だけど、あの子は君に惚れてんの。〝そういう意味〟じゃなくても、友だちとして、チームメイトとして、心の底から惚れてんの。あの子にとって、玲ちゃんは特別なんだよ。その思いを全部受け入れてやれとは言わないけど、もう少し優しくしてあげなよ」
「ヤだ」
 間髪入れずに首を振った榛名に、江夏はペンを回す手をとめた。
「何で?」
「そんな義理なんて無いからだ。それに、別に澤一人に冷たいワケじゃないだろ? おれは基本的に薄情な人間なんだ」
 それから、通路側の席で、ひときわ声高にしゃべっている一団を顎でしゃくって続けた。
「あいつらにだってさんざんけなされてるしな―――〝薄情〟だの〝自己中〟だの。だから、元々そーゆー性格なの。わかった?」
 その言葉に、江夏は軽く首を振って言った。
「米村たちのことは放っときな。人の揚げ足とることしか眼中に無い低俗な連中なんだから。――ああいう連中は何でも気に入らないんだ。文句言って、愚痴言って、そのくせ状況を良くするための行動を起こそうともしない。物事の悪い面だけ見て、良い面を見ようとしない。与えられているモノに感謝することを知らず、無いモノねだりばかりしている――人生に意味を見出そうとしないんだ。
 見出そうとしないから、彼らの目には真実、人生は無意味で、つまらなく、理不尽なことの連続に見える。……だけど、完全な世界なんてない。みんな不完全で理不尽な中で生きてる。全員が同じスタートラインに立てるワケじゃないんだ。誰のもとに生まれるかも、どこに生まれるかも、どのように生まれるかも、我々は選択できない。親が病気だったり、経済的に困窮している家庭で生きなきゃない人たちがいるのは悲しいことだし、是正していかなければならないと思う。
 だけど、どのように生きるかは選択できるんだ。過去の出来事を、良かった、と思えるか、それとも、その出来事のゆえに幸せになれない、と自分を信じ込ませて、前に踏み出すことを拒否するのかは本人が決めることだ。
 人はなぜ幸せであるかわかるか?――幸せであることを選択しているからだよ。どんな境遇でも、前見てまっすぐ生きてる人たちはいっぱいいるんだ。どんなにヒドイことをされても、それを人に連鎖させないという選択をする人は必ずいるんだ。
 だから、ああいうふうに悲劇のヒロインぶって周りを振り回すヤツは好きじゃない。不愉快だろ?」
 渋面を作って言う江夏に、飯田夏は躊躇いがちに反論した。
「なにもそこまで言わなくても……」
 彼女は江夏の考えに賛成しかねるようすだったが、榛名としては、ほとんど異議がなかった。
 彼女もまた、そういった人種を軽蔑していたからだ。彼らの人格まで否定するわけではないが、いつも、どうしようもないな、と思いながら横目で見ていた。
「フランクル先生の言うところには~~〝人生に何を求めるかではなく、人生から何を要請されているのかを考えるべきである〟」
「〝夜と霧″か」
 榛名が言うと、江夏は嬉しそうに頷いた。
「あれは名著であった。………とにかく、玲ちゃんは冷たくなんかないよ。むしろ逆だ。ただ、それを理解しない人間もいるんだ。………話を戻すけど、君、自分で気づいてないみたいだから教えておいてあげるけど、いっちゃんへの態度、結構あからさまだよ? あれじゃかわいそうだ」
「そんなことない。そっちのカンちがいだろ?」
「そんなことある」
「ない!」
 思わず声を荒げた榛名に、江夏は我が意を得たり、とばかりに笑みを深めて呟くように言った。
「〝可愛さあまって憎さ百倍〟………とか……?」
「何言って………!」
 榛名は言い返そうとしたが、口を開きかけたまさにそのとき、教室の戸が開いて教師が入ってきたために、続きは言えずじまいだった。
 その授業はまったく集中できなかった。頭の中で反響しつづける〝可愛さあまって憎さ百倍〟という江夏の発言と、視界の隅に映る澤のうしろ姿で気が散って、教師が言っていることの半分も理解できなかったような気がする。
 授業が終わって、さあ反論しよう、と江夏の方を向いたが、彼女は購買に消えていた。そればかりか、当の本人である澤が、部活仲間の飯田夏を引き連れて弁当を食べにやってきたので、彼女を追ってゆくこともできなかった。
 それに、よく考えてみると、自分にマトモな反論ができるのか、ギモンだった。心のどこかで、江夏の言葉が、一部的を射ているとわかっていたからだ。
彼女の言う通り、自分は澤を無視しきれない。それは、気になっているからだ。彼女は、妙に責任を感じているらしい過去の出来事への罪の意識から自分に親切にするのだ、と理解しているつもりなのに、その好意を都合よく解釈しようとする自分がいるからだ。彼女と相対していると、一度はフタをして完全密閉したはずの思いが再び鎌首をもたげてくるからだ。
 そんなとき、榛名は強い恐怖を感じる。澤の感情を少しでも受け入れたら、後戻りのできぬところまで行ってしまいそうだったからだ。自分で自分を制御できなくなるのでは、と疑っていたからこそ、澤と関わりを持つのを避けていたのだ。それにうすうす気づきながらも、知らぬフリをしていた榛名に、江夏は真実を突きつけてきたのだ。だから、反論できなかった――それが真実だったから。
 そこに思い至ったとき、榛名は愕然とした。自分は澤を嫌っているのではない。むしろ好いているのだ、と自覚したからだ。それも、ただの好意ではなく、それ以上の―――。
 そこまで考えて、榛名は思考を遮断した。脳が、これ以上考えてはいけない、と警告を発していたからだ。
 彼女は、卵焼きの甘さはどうかを尋ねてくる澤に、ちょうどいいよ、と答え、箸を動かす手を再開した。そして、これまで以上に、彼女に対する思いを強く封印するのとともに、いい加減、筋ちがいの八つあたりはやめねばなるまい、と思った。
 ニコニコ笑ってこちらを見つめてくる相手に、なんだよ?と聞くと、彼女は、続いて、焼き肉について感想を求めた。なんとなく憮然としたようすの飯田と、購買から戻ってきて席に着く江夏を横目に、おいしい、と答えると、前の席に座る幼なじみは満足げに自分の弁当をつつきはじめた。
「黙れ」
 榛名は、意味深な笑みを浮かべてこちらを見る江夏が口を開きかけたのを見て先手を打った。江夏はメロンパンをほおばったまま、まだ何も言ってないけど?と返したが、彼女が何を言いたかったのかなどわかりきっていた。どうせ、愛妻弁当はうまいか、とかそんなところだろう。
 江夏は、榛名から澤に目を移した。そして、上機嫌の彼女に向かって言った。
「気に入ってもらえてよかったね?」
 その言葉にもたされた含みなど全く理解していないようすの澤は素直に頷いた。
「うん―――。っていっても、榛名さんはいつも褒めてくれるから、本当のところどうかわかんないんだけど……」
「いつも、おいしいって言ってくれるんだ?」
「ウン……だから逆に、不安になるんだ――」
「なるほどねえ――」
 こちらを横目で見た江夏と視線がかち合った榛名は、思わず箸を折りそうになった。どれだけ自分をおちょくれば気が済むのか、と相手を睨みつけて、咳払いをした。
「作ってもらった料理にケチつけられるかよ? そんなの常識だろ?」
 彼女はそれから、澤の方を見て付け加えた。
「――-それに、正直に、本当においしいから安心しろ」
 その言葉に、彼女の表情が輝いた。澤は、本当?と身を乗り出して聞いた。
「本当」
 榛名がうなずくと、澤はウキウキと、明日からはもっとがんばるね、と言った。
 そのやりとりを見ていた江夏は、まだパンを食べ終わっていないのに、ごちそうさま、と言った。一方飯田は、相変わらず黙ったまま昼食をつついていた。
 榛名は、二年間の付き合いで、このイケている茶髪の同級生が、単に気が合わない、という理由以外によっても自分を嫌っているらしいことを察知していた。だからあえて、彼女に話をふった。
「そういえば飯田、踏み込み幅の調整してたよな? どう?」
 飯田は少し意外そうな表情のあとで言った。
「うん、だいたい完成かな。春先に始めたときはちょっと不安だったけど、やっぱり最後の甲子園に向けてできる限りのことはしたいと思ったから決断したんだ。六足のほうが体重の乗りがいいし、フォームも改善されたよ」
 彼女の言葉に、澤が頷いた。
「フォーム、キレイになったよね」
「そう思う?」
 うれしそうに聞く飯田に、澤は頷いた。
「たった半足分縮めただけなのに、全然違うよね。やって良かったと思うよ」
「そっかー。一樹もそう思うかあ。じゃあ、挑戦してみたかいがあったな。良かった」
 笑顔の飯田に、澤も笑い返した。
「これで悔いなく試合に挑めるね。ウチはなっちゃんあってのチームだから、よろしくね?」
 如才なくふるまう相手に、榛名は、ちくり、と胸の痛みを覚えた。それは、友人が心にもないことを言っているのがわかったからだ。
 彼女はこれまで、チームのことを気にかけたことなどほとんどなかった。チームメイトの前では巧みに本心を偽っていたが、榛名の前では率直に本当の気持ちをさらけ出してきた。彼女は常に、自分は野球を楽しむ資格などない、榛名がいるからやるのにすぎないのだ、と言ってきた。彼女はただ、罪滅ぼしで、榛名に言われて野球をやっているにすぎなかったのだ。
 だから、チームメイトも、試合の勝敗も、彼女には関係がない。その心にあるのはただ義務感と罪の意識だけなのだ。
 それなのに、あたかも野球を楽しんでいるかのように、相手の望む言葉を返す彼女は見ていて痛々しかった。自分の思うところなど価値はないのだ、とばかりに、ごく自然に本心を偽る姿は、憐れみを誘った。
 榛名は焼き肉を飲み込んでから口を開いた。
「一樹、〝天国の囚人〟どうだった?」
「あ、えーと……おもしろかったよ」
 突然話題をふられた彼女は口ごもりながら、でもうれしそうに答えた。
「アレ、四部作だったろ? 他のも読まないとよくわからないんじゃないか? 
貸すよ」
「いいの!?」
 榛名は頷いた。
「今週末でもウチ来た? 親父が久しぶりにお前に会いたいって言ってたし」
 澤は感極まったようにうなずき、再び弁当を食べ始めた。
 榛名はそのようすをしばらく眺めてから、手元に目を戻し、箸を手に取った。その瞬間、横から、よくできました、という小さな声が聞こえた。


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