栄徳高校女子野球部! 本編 (完結)

第7章 三回戦1

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 試合開始のコールが叫ばれる。風の強い日だった。主将の菊池東亜はいつも通り先攻・後攻を決めるじゃんけんに負けたが、相手が先攻を選んだので後攻をゲットしてきた。
 向こうが先攻をとるということは、最初に一発かましてこちらの勢いをそぐつもりだろう、と香坂優は思案を巡らせた。
 実際に、将元大付属の3、4、5番のクリーンナップはもちろんのこと、それ以外の打者も県内トップレベルの打率を誇るものばかり。投手の出来に不安を感じる向こう側の監督が先手必勝策を講じてきたとしても不思議はない。
 序盤で先発の球をとらえて、点取り合戦に持ち込めば向こうが勝つのは明白だった。まあ、簡単に打てるような球を投げるつもりはないけどな、とマウンドの土をならしながら香坂は思った。
 完投はしていないものの、今日を含めこれまで三試合連続登板をしている香坂は、榛名にエースナンバーを奪われた栄徳高校女子野球部の三年生だった。
球速はそれほどないが、コントロール抜群で、並の打者は打てないようなエグい球を投げる榛名に、つけて半年しか経っていない背番号一番を持って行かれた時は、正直結構堪えた。
 中学のチームでは二年生からエースを張っていた香坂にとって、降ろされたことは屈辱で衝撃的だった。それまで一度も一番を譲ったことはなかったし、それが当たり前のことだと思っていた。一番は自分のために用意されていて、自分がそれをつけるに最もふさわしい者だと本気で思いこんでいた。
 栄徳高校から野球特待生の話が来たときもさして驚かなかった。栄徳高校は女子野球に力を入れていて、特待生の枠を多めに取っていることを知っていたからだ。
 中学時代より競争が厳しいだろう、という懸念はあまりなかった。それよりも、徒歩五分という立地の良さの方が彼女にとっては重要だったからだ。
そんなふうに、ある程度の自信をもって野球部の門を叩いてみた香坂のベンチ入りは早かった。同学年の中じゃ一番肩が良かったし、球種の多さ、コントロールの良さで香坂をしのぐ者はいなかった。
 先輩にはかなわなかったが、こっちのほうが経験が浅いうえに体の大きさも違うんだからしょうがない、と香坂は割り切っていた。努力しなかったわけではないが、上級生のピッチャー相手にポジション争いをする気は起きなかった。
いずれ、時が来ればその位置には自分がおさまるだろう、とタカをくくっていた。
 二年生の夏大が終わって上級生が抜けると、思った通り香坂は一番をもらえた。しかし、その番号を背負えたのは半年だけで、三年生になるとすぐに後輩に奪われた。
 香坂を引きずり下ろした二年生の榛名玲は、香坂より体格が劣っているにもかかわらず、彼女と同程度かそれ以上の球威の球を投げることができ、球種はより多く、コントロールはより正確だった。そのために榛名は、相手打者に応じた配球をほぼ失投なく投げることができ、同期の天才捕手、澤一樹のリードのもとで次々打者にバットを振らせていた。
 また、リードはほとんど捕手任せの香坂とは違い、榛名は配球に関しても熱心で、よく試合前に澤や石神と話し込んでいるのを見かけた。
 榛名のほうが自分より良い投手であると、香坂は認めざるを得なかった。野球にかける情熱も、資質も、防御率も、榛名のほうが優れていた。
 下級生に引きずり降ろされて、屈辱や劣等感を感じなかったと言ったらうそになる。悔しかったし、泣いたりもした。どうして後一年遅く生まれてくれなかったのだと恨んだこともある。
 しかし、ショックから立ち直るのに、思ったほど時間はかからなかった。香坂自身もそれがなぜであるかわからない。ただ、その成り行きに妙に納得した感じを覚えたのも事実だ。
 一番を背負っているより、十番をつけるほうが、なぜか香坂にはしっくりきた。スポットライトの真下にいるよりも、一歩引いた、少し薄暗い位置に立つ方が居心地が良かった。
 自分は基本的に投手に向いていないのかもしれない、と思いながら香坂は、前方にしゃがみこむ澤に向かって球を投げた。我ながら、向上心と闘争心の欠如にあきれたからだ。
 しかし、投げているうち、なぜかしら香坂の気分は上がっていった。自分のボールがミットにたたきつけられるときの音は、彼女にとって最も心地よい音だった。
 
 言うとおりに投げてりゃまず炎上はない―――それが澤と半年組んできてわかったことだった。はじめのうちは澤の配球に疑問を感じることが多くて、よく首を振っていたが、そうするとたいてい打たれて後悔した。
 澤の頭の中には、相手の身長、体重、過去の成績、得意コース、不得意コース、打率、バント成功率、今期の調子、過去の怪我の有無、短距離のタイム、長距離のタイム、相手監督の好みのプレイスタイルその他もろもろの膨大なデータが入っていて、彼女はその前提の上で、相手の狙い球や、バスターなのか、スクイズなのか、待球指示がでているのか、などを見抜いて、その時に最適な球を、投手の調子を見ながら指示してくるのだった。
 指示を無視しようが、サインと違う球を投げようが、澤は怒らない。今日はナックルを投げたくないとそれとなくほのめかせば別の配球をすぐに提案する。〝この状況ではナックルが最適なんだ″とか〝あの打者はナックルで討ち取らなきゃいけないのに″とか、普通の捕手が言いそうなことを澤は一切口にしない。
彼女は主張しない捕手だった。投手に従順な捕手とも言えるかもしれない。
 澤と同じく二年生の捕手である石神京香は、普段は気が弱く、若干挙動不審気味の選手だった。一見、澤のようなタイプに見えるが、彼女はひとたび配球のこととなれば自分の意見をはっきり言うタイプだった。投手と言い合いをすることもある。
 いささか投手に煙たがられる傾向にあるが、香坂は個人的には石神を好ましく思っていた。中学時代に自分の球を受けてくれた捕手とタイプが似ているということもあるが、投げても投げてもろくに反応が返ってこない、澤の〝ブラックホールミット″よりも投げれば何かしら反応が返ってくる――それが好ましかろうと好ましからざろうと――石神のミットに投げ込むほうがまだしも手ごたえがあったからだ。
 配球だけでなく、球威やコースにも口を出してくる石神と違い、澤はほとんど自分の意見を述べることがなかった。聞けば思い出したように答えるが、大体口にすることと言えば、〝今日の球よかったですね″とか、〝いいコースで来てました″とか〝今日調子いいですね″とか、ほとんど素人同然のほめ言葉だけだった。
 だから香坂は、ブルペンでは可能な限り石神や、ほかのキャッチャーに頼んで投球練習に付き合ってもらっていた。実際の試合では澤と組むことのほうが多いし、彼女と組んだほうが自責点がつかないのだが、感情としては、石神や、もうやめてしまった元捕手の三年生、菊池東亜相手のほうがやりやすかった。
 香坂がぼんやりしているうちに試合は進んで、五回表になっていた。予定では香坂の出番はここまでのはずだった。スコアボードに目を走らせると、将元大付属高校はここまで五失点、栄徳が一点リードの四失点。いつもよりは打たれたが、将元の強力打線を相手に我ながら健闘していると思いつつ球を放った。すると、甘いところに入ってしまい、ヒットを打たれる。すでに出塁していた打者が二塁へ進んでワンナウト1、2塁。
 香坂は額の汗をぬぐった。ここで四番かよ、と内心舌打ちをして澤の指示を待つ。外角低めにボール球のシュート。頷き、言われたところに投げる。バットは動きもしない。次は、内角高めにカーブ。これも枠から外す。今度は思ったよりいいところに決まって、相手がバットを振った。間の抜けた音とともに、ボールはファールエリアに飛んでいった。
 続くボール球は見送られ、ワンナウト2ボール1ストライク。
 次のサインを出す前に澤の表情がわずかに変化した。何かに気づいたようだ。
澤は外角高めを要求した。香坂がストレートを投げるのと同時に走者が地面をける。バットをすり抜けたボールを澤がとって、3塁に送球する。球が唸りながらサードのグローブに収まった。
「アウト!」
 栄徳高校側のスタンドから歓声が上がる。少しほっとしながら香坂は再び四番と対峙した。先ほどのボール球要求は、盗塁を見越してのことだったらしい。これでカウントは2アウト3ボール1ストライク。次のサインは外低めにストレートのボール球。手を出してこないと思ったが、ヘタに二塁打などを打たれるよりも歩かせたほうがマシなのはわかっていたので、要求通りに投げた。すると、相手が意外にも手を出してきてゴロ打ちとなり、五回表は栄徳が点差一点を守ったまま終了した。

 ベンチに戻ると、後から戻ってきた澤にナイスピッチでした、と言われた。
「澤こそ、ナイス守備。助かったよ」
「三盗は絶対阻止ですよ」
 澤が笑った。
「なんで盗塁してくるってわかったの?」
「うーん、しいていえばにおいですかね」
「におい?」
「はい」
 澤が防具をはずしながらうなずく。
「あの二番、けっこう足速いし、そろそろやってくるんじゃないかと思ってたんです」
「ふーん」
「さっきの打席、二球目、振らせたのが大きかったと思いますよ。一個ストライクとれたことで相手に盗塁を急がせ、こちらのタイミングで走らせることができたと思います」
 澤の言葉に、香坂はわずかに目を見開いた。そして、軽く吐息をついて、わずかに笑みを浮かべる後輩を見た。
 何も考えていないようでいて、毎度戦略を練り上げてくる彼女に改めて感謝の念がわいてきたからだ。リードを投げっぱなしの香坂に文句ひとつ言わずに球を受けてくれる相手の懐の深さに一種感動したといってもいい。
 それと同時に、そんなに一生懸命やってくれている彼女を〝ブラックホールミット″呼ばわりした自分が最高に恥ずかしくなった。完璧な人間なんていないのに、年下相手にその完璧を求めていた自分の浅慮に軽い頭痛を覚えた。
 この間、彼女にお礼を言ったのはいつだった?――思い出せなかった。
 香坂は意を決して口を開いた。
「あのさ……」
 しかし彼女は自分が言いたいことを最後まで言えなかった。
「おい、澤!」
 榛名の怒鳴り声に、澤は一瞬びくっとしてからきびすを返し、ベンチの右手奥にいる相方のもとへ駆けて行った。
 澤が膝を折って榛名とデータ表をのぞき込んでいるのを眺めているうち、高揚していた気分が沈みこんでいった。出番は終わってしまった。監督の感じからして続投はない。彼女はよほどの大事がない限り、予告通りに投手の入れ替えを行う人だった。
「――テメエ!」
 ベンチの奥から椅子をけるような音がして、香坂は何事かとそちらを見た。
「また同じこと繰り返させたら蹴るからな! それとさっきみたいなヘボい送球じゃ、あの四番は刺せないぞ! 盗塁阻止がお前の義務なんだからまじめにやれ!」
「私、でも、榛名さんにふさわしくない……」
「ふさわしいもふさわしくないも、おれらはバッテリーなんだよ! 覚悟して栄徳入ってきたんだろ? やりとおせよ」
「もう……できない……試合出れない……」
 いつもの痴話げんかか? それにしては激しいような……?
 香坂と同じようなことを思ったのだろう。成り行きを見守っていたチームメイトの顔から血の気が引いた。
「澤、大丈夫か……?」
「具合でも悪いのかな?」
 彼女らの間で交わされる囁きには不安の色が混じっていた。香坂はチーム内の雰囲気の変化を察知した。
 榛名と澤のイザコザはしょっちゅうだ。年中行事といってもいい。しかしそれは、喧嘩というわけではなく、榛名が一方的に澤に突っかかって、澤が受け流すという構図だった。榛名はいつもカッカしているが、澤は基本的に平静だ。
 その澤が、取り乱している。チーム内に動揺が走るのも道理だった。
 見かねた監督が二人の仲裁に入って、訳を聞いてみても、目に涙をためる澤は、できません、と言うばかりで質問に答えようとしなかった。
 主将の菊池東亜は、澤のとりみだしようにぼうぜんと立ち尽くしていた。
 そうだよな、と香坂は一人ごちる。チームの正捕手がゲームの途中でいきなり崩れるなんて、最悪だ。
 酸欠の金魚のように口をパクパク開閉しているだけの菊池とは対照的に、実質的主将の副主将、金沢悠木の動きは迅速だった。彼女は二人のそばに寄っていって榛名の肩を抱き、軽い口調で尋ねた。
「はる、これどうした? いじめすぎたかー?」
「そんなことしてないっす。勝手に泣き出したんですよ、こいつ。おれもわけわかんねえ。……もう出てかなきゃないのに」
「今じゃなくても昨日おとといとか、心当たり全くない?」
「それ……は……」
 金沢の問いに榛名は口ごもった。
「あると言えば、あるかもしれないですけど……」
「そっかそっか。じゃあいったん気ィ落ち着けに行こうか」
 金沢はそう言って澤の肩にも手をまわした。
「てなわけで監督、ちょっとはずします」
「わかった」
 桃井はアレコレ聞かずにうなずいた。内心はどうだったのか知らないが、彼女は表向き、一切動じた様子を見せなかった。
「時間は気にしなくていい。そのための控えだからな。な、みんな?」
「は、はい!」
 桃井の言葉にベンチの空気が一気に和らいだ。香坂いつもながら選手の緊張を解くのがうまい監督に感心しつつ、マウンドに目を戻した。
 そうしていると、沈んでいた気持ちが再び上がってくるのを感じた。榛名には悪いが、続投できるかもしれない、と思うと嬉しかった。
 香坂はふと思い立って、石神はどんな様子だろうか、と、いよいよ出番が回ってきた控え捕手に目を向けた。しかし、彼女は今大会初めて試合に出られるというのに、それどころではない様子で三人が消えて行った出口のほうを不安げに見ていた。
 香坂は、欲がないな、と呆れ半分、感心半分で思った。試合に出られるチャンスが巡ってきたのに、喜ぶ様子もない彼女の度量の広さに驚いたのだ。しかしよく考えてみれば、石神はチーム内で特に変わっているわけではなかった。チームメイトの大半は基本的に他人優先で利他的だ。レギュラーを獲得したライバルを祝福できるようなお人好しばかりだった。
 むしろ自分みたいなのは異質なのだ、と香坂は思う。自分がここにいられるのは投げられるからにすぎない。監督に用済みと思われたら、そこで高校生活は終わる。
 だから、とにかく運が許す限り全力でやるしかない。
 香坂は、正捕手とエースの離脱というハプニングにも関わらず、取り乱す様子もなくグラウンドに向かって超然と立つ監督を見ながらひそかにそう思った。


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