栄徳高校女子野球部! 本編 (完結)

第5章 越えられないもの 

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三回戦を四日後に控えた週末、栄徳高校女子野球部の二年生、羽生葵は、同じくチームメイトの榛名玲と澤一樹への疑惑が部内で再燃したのをいいことに、同室者をおちょくって楽しんでいた。羽生は二人が付き合っていないのを百も承知だったが、普段二人の対立に散々手を焼かせられている意趣返しとして榛名をからかっていた。
何度も繰り返されたその問い――榛名と澤は付き合っているのではないか、という問い――に、いい加減ウンザリしたように榛名が羽生をねめつけた。
「本当おまえはしつっこいな! だから付き合ってねっつの!」
 羽生は薄笑いを浮かべて切り返した。
「毎日お弁当を作ってもらってるのに?」
「昔からの習慣だよ」
今にも掴みかかってきそうな榛名を前にしても羽生は慌てなかった。彼女は凶暴だが限度はわきまえている。チームメイトにケガなんてさせるワケがないのだ。
羽生は、もっとおちょくってやろうと、さらに続けた。
「じゃあ、週末に家にお呼ばれするのも習慣?」
「……それ絶対に誰にも言うなよ? おれは実家に帰ってることになってんだから」
「はいはい」
羽生は適当に返しつつ、開いている漫画本のページをめくった。そして、榛名の外泊先を知った時のことを思い出して、クスリと笑った。
それは、およそ一年前、羽生が栄徳高校付属の女子寮である有明寮に入って間もない頃のことだった。東京出身の羽生は、他の多くの生徒と同じく、仙台北部の市街地が一望できる丘陵の上に建つこの寮に入寮することになった。
単身、新幹線で仙台に来て、バスに乗り換え、三十分余り揺られた末にやってきた彼女が、案内された部屋の扉を開けたとき、彼女を迎え入れたのは、同じく大量の荷物を持った榛名玲と、石神京香の二人だった。二人は仙台市出身だったが、練習に専念するために入寮を決めたと言っていた。羽生はすぐに彼らと打ち解け、行動を共にするようになった。
榛名と石神は全く違うタイプの性格だったが、二人はともに、人を色眼鏡をかけることなしに見ることができる、という長所を持っていた。だから、羽生はすぐに彼らのことが好きになり、ルームメイトに恵まれたことに感謝した。

そんなふうに、四六時中一緒にいたので、羽生はすぐに、榛名が定期的に外泊することに気付いた。彼女がいなくなるのは大抵週末だった。
羽生は初め、実家に帰っているのだろう、と思っていたのだが、どうも榛名の口ぶりからするとそうでもないらしかった。それではどこに行っているのか、と尋ねてみても、榛名は明確な答えをくれなかった。
羽生が真相を知ったのは、入部して一か月余りが経った、六月の初めだった。その頃、早々に正捕手のポジションを哀れな三年生から奪い取った澤を筆頭に、彼女と同じ中学出身の強打者、月島絵梨奈、そして、羽生がレギュラーの座を獲得し、他の一年生も続々とベンチ入りした。そのため、部内では夏大に向けたポジション争いが激化して、何となく張りつめた空気が漂っていた。榛名がうっかり口を滑らせたのはそんな折だった。
彼女はある月曜日の朝、帰寮してきたときに、開口一番、澤の寝ぞうについて文句を述べた――そして、一切が羽生の知るところとなったのだった。
羽生は榛名に洗いざらい吐かせて、榛名家と澤家はかなり前から付き合いがあって、週末になると泊まりに行っていること、そして、そのような行き来はかなり昔からあることを突き止めた。
ローテーブルで勉強道具を広げる榛名を横目に、羽生は漫画に目を戻す。
榛名はなおもぶつくさ文句を垂れていた。
「今日も散々だった。先輩にはからかわれるわ、丹波は意味不明なこと言ってくるわ……」
「多分、丹波は、はるの事をライバル視してるんだよ」
「そりゃ当然だろ。部内じゃポジション争いあるのが普通だ」
「いや、そうじゃなくて……」
羽生は榛名の視線を感じつつ、寝転がったまま言った。
「〝澤の″投手になりたいんじゃないかな、あの子」
「ああ」
榛名はそんなことかというように気の無い声を出した。
「あいつも澤信者だったっけ」
「あの子投手に好かれるよね。才能?」
「あの一年、あんまりお目目キラキラさせてあいつの事みてっから、おれが忠告しておいてやった。あまり入れ込みすぎると痛い目見るぞって」
「そこよくわかんないんだけど」
羽生は漫画を床に置いて起き上がった。
「澤、性格いいじゃん。ちょっと勝負への意欲が低いけど、投手を立てるし、チームの要としてよくやってると思うよ……甘いけどさ。榛名はどうしてそんなふうに言うの?」
 羽生の問いに、榛名は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あいつほど残酷なやつはそういないぜ」
 渋面を作る榛名に、羽生は呆れたように言った。
「過去になにがあったか知らないけど、私たちは〝今″このチームで戦ってるんだよ。いい加減水に流してやれよ、小学生じゃないんだから」
「じゃあ!」
榛名は羽生を睨みつけて叫んだ。彼女は羽生が見たこともない程苦しげだった。
「羽生は! あんな才能の塊みたいなやつが小学生のころから寝ても覚めても隣にいて、いつも背中を追うしかないおれの気持ちが分かるのかよ!」
羽生は驚いて目を見開いた。彼女がこんなに追い詰められている姿など、見たことがなかったからだ。
榛名はぶっきらぼうだけど優しくて、誠実で、そして強かった。彼女が弱音を吐いたところなど見たことがなかったし、人と自分を比べるようなタイプでもないと思っていた。
しかし、その考えは間違いだったらしい。――彼女は劣等感で苦しみ、傷ついていた。羽生は、榛名が澤を足蹴にする理由がなんとなくわかった気がした。
「走っても守っても打ってもいつも一番。努力家で、頭だって良くて、みんなに好かれてる………そういうあいつの隣にい続けるのがどれだけ大変かわかるのか!?………あいつが投手だったらおれは三年間控えだ。おれが捕手だったら、多分この学校に呼んですらもらえない………こんなこと言うのはカッコ悪いってわかってるけど、おれはあいつには叶わないよ――勝てたためしがないんだ。たぶんこの先だってそうだろうと思うし―――」
そういって自信なさげにうつむく相手に、羽生は励ますように言った。
「だったら、だったらってそれは仮定の話じゃん。はるはいい投手だよ。澤が投手になったとしても、はるほどコントロールがきくか分かんないでしょ? 球種の投げ分けにだって技術がいるし――」
「それでも、あいつはできるよ。あいつに出来ないことなんか一個も――」
「あのさあ」
羽生が急に低い声を出したので、榛名は思わず顔を上げた。彼女は榛名の目を見据えて、少し苛立ったように言った。
「 〝あいつに出来ないことなんか何もない″?――じゃあチームメイトのケツに火つけたりできんの? みんなの士気あげたりできんの? 同じ投手として丹波にアドバイスできんの?――できないでしょ? 澤ははっきり言ってスポーツ向きの性格してないし、皆だって薄々それに感づいてるから、いざとなったらはるや金沢先輩のとこに行くんじゃないの? 正直、あんなのんびりした掛け声じゃ勝てる試合も落とすよ」
いつになく真剣な羽生に、榛名は虚を突かれたような表情をした。
「足りないもんばっか数えてないで持ってるもの見なよ。自己憐憫に浸ってないで前向け。いい加減、澤に八つ当たりすんのやめなよ」
「羽生……」
「これ、全部本気だから。私が嘘つくの下手なの知ってるでしょ」
羽生はそう言い捨てると、トイレに行ってくる、と呟いて部屋を出ていった。

静寂が戻った部屋で、榛名は茫然と友人が出ていった扉を見つめていた。
頭の中では羽生の言葉が反響していた。
澤は何でもできるワケじゃない。あいつは神じゃない――そんなことは分かっていたはずなのに、羽生に言われて、自分が本当には理解していなかったことに気付いた。自ら作り上げた〝澤像″が実物よりもはるかに巨大に、完璧になっていたことに、自分で気づいていなかったのだ。
澤はすごい。澤には追いつけない。澤には叶わない。
幼い頃から榛名を呪縛してきたそういった考えは、彼女自身が自分を閉じ込めるべく作り上げた檻でもあった。
 途中、澤が投手を辞めたことでその思いは一層強くなり、中学三年生に上がる頃には、一刻も早く別のチームに行きたくて仕方がなかった。だから、進路については何度聞かれても絶対に答えず、チームメイトや同級生にも極力言わないようにしていた。

憧れの栄徳高校に入って、晴れて彼女から解放されると思ったのに、部活のはじめての顔合わせに行ったら、彼女がいた。申し訳なさそうな、嬉しそうな顔をして、白々しく〝榛名さんも栄徳だったんだ″とか言ってきた。その瞬間に受けた衝撃は、ちょっと言葉にできなかった。その場面は、何度も何度も夢に出てきて、再三榛名を苦しめた。
相手は以前、首都圏の高校から声がかかったと言っていたから、てっきりそちらに進むかと思っていたのに、栄徳のグラウンドを走っていた。〝カンペキ″を具現化したような幼馴染み、もはや友人でもなくなった幼馴染みが自分の前を走っていた――嬉しくて、涙が出た。榛名は苦痛で仕方がないのに当の澤はニコニコして〝また一緒に野球できるね″と言ってきた。腸が煮えくりかえって仕方がなかった。
澤がやすやすボールをとるたび、お前に、私に捕れないボールなんて投げられやしない、と嘲られているようで、練習が苦痛になった。配球に関しては、意見の相違がほとんどなかったので気を遣う必要がなかったのがせめてもの救いだったが、いつも前方にはかなわないライバルがいてミットを構えている、という状況は、次第に榛名を追い詰めていった。
二年生になると、さらに幸運なことに、彼女とバッテリーを組むことになった。お前の全力投球はそんなものか、制球力はそんなものか、と言われているようで練習が苦痛だった。球をとらせてくれと寄ってくる澤が、憎くて恐ろしくて仕方がなかった。
しかしそのイメージは、半分は事実だったとしても、半分は幻想だったのかもしれない。羽生のいうとおり、澤は完璧ではないし、自分だってそこまでダメ投手でもないのかもしれない、と榛名は思った。澤が試合中に微笑んでいるのは、多少なりとも自分の球に満足しているからかもしれない。
そう思うと、このところ感じていた全身のだるさが軽くなったような気がした。地に落ちていた自尊心が再び鎌首をもたげてきて、気分が少し上向きになる。
榛名は不意に立ち上がって、机のわきに置いた鞄の中に手を突っ込み、携帯電話を取り出した。そして、若干緩んだ表情で電話帳を開き、〝澤一樹″を選択した。そして、思案しながらゆっくりとメールを打ち込み、送信ボタンを押した。

                                    *

 その翌日の夜、榛名は澤の実家にいた。前の週と同様、澤を除く澤家の住人――すなわち、澤の両親と姉――と話し込んだのちに、風呂を借り、それからいつも泊まっている一階の客間に引っ込み、布団に寝転んで天井の木目を眺めた。月曜日は大抵別々に登校することにしていたが、明日は一緒に行ってもいいような気がした。
そもそも弁当と、バッテリーという関係性と、澤の後先考えない〝自分のトクベツは榛名″とかいった発言のせいでチームメイトに変に疑われているわけだが、二人は、実際には友人とすら言えるのか分からない関係だった。
チームメイトではあるかもしれないが、ほとんど野球以外の事など話さないし、学校で大してやり取りがあるわけでもない。家族構成は知っているが、それは実家の親同士の仲が良かったからにすぎない。
榛名は長年、澤のことを何考えてるか分からない変なヤツ、位にしか思っていなかったし、今でもそれはあまり変わらない。意味不明なことを言ってくるし、行動原理もよく分からない。
例えば、
「失礼します。お茶どうぞ」
茶を出してくる所とか―――。
「あのさあ、おれ客じゃないんだからそんなん出さなくていいって毎回言ってるだろ? 本当学習しないよな」
「ご、ごめん。下げるね」
「いいよ、せっかく出してくれたんだから飲むよ」
どもりながらお盆と湯呑みを下げようとする相手を制し、榛名は仕方なしに湯のみを持ち上げた。そして二、三口茶をすすってから、思い出したように枕元に置いてあった翌日の相手校のデータ表を手にとった。
「明日の試合だけど、四番はやっぱりあまり簡単に歩かせちゃいけないと思う。すごいバッターだけど足も相当速いから、盗塁が気になる。五番は小柄だけど、打率がいいから続かれる可能性が高い。相手もお前の肩は知ってるからそうポンポン走らせないと思うけど、四番の足は怖い。万一三盗でもされたらチームの士気が落ちる。だから最初から歩かせるんじゃなくて、歩かせてもいいつもりでクサイとこついていった方がいいと思う」
資料片手にそう言う榛名に、澤はうなずいた。
「私も同じようなこと考えてたんだ。この四、五番は、去年の秋大で桜木のキャッチャー相手に三盗してるし」
「え?増子から? まじ? さすが五十メートル七秒台だな。こういうのは早めに処理したほうがいいだろう」
「うん。とにかく四番、五番は警戒だね」
「ああ」
榛名は頷いた。そして、自分の前に座ってデータ表を眺める澤の左手を掴んだ。澤は驚いたように目を見開いて榛名を見返した。
「この前の痣、どうだ?」
「……大丈夫だよ、もう。大したことなかったから」
「そうか……。なんか、ごめん、捌け口みたいにして」
「榛名さん……」
「これまでも、色々ごめん。酷いこと言ったりしてさ。何というか、今更って感じだけど………」
「謝るの、私の方だよ」
じわり、と澤の目のふちに涙がたまった。
「本当は野球する資格なんて無いのに、いつまでも榛名さんに甘えてさ……嫌がってるのに無理やり球放らせて。――自分のことばっかり考えてて……榛名さんが怒るのも当然だよ」
「野球をする資格はある。それだけの才能を授かったんだ、神様がやれっつってんだよ」
「で、でも」
ついに澤の目から涙がこぼれおちた。
「ひと、ごろし、なのに……」
澤の言葉に榛名は顔色を変え、資料を放り出して澤に向き直った。彼女は両手で澤の二の腕を掴み、目を合わせようとしない相手の顔を下から覗きこむようにして叫んだ。
「まだそんなこと気にしてるのか!? あれは事故だったんだよ。不慮の事故で、誰にも止められなかった。だろ?」
「でも、私があの時〝ジュース飲みたい″って言ってなかったら……あの時榛名さんちにいなかったら……榛名さんのお母さんはまだ――」
「もし、なんて歴史には存在しないんだよ!」
榛名は澤の言葉を遮った。今ここで例の事故に澤の責任がなかったことをはっきりさせておかなければ、取り返しがつかなくなる気がしたからだ。
実際に、母の瑠加をはねたのは前方不注意のドライバーだった。澤が責任を感じる必要は何らないのだ。それなのに何年もそれを引きずっている彼女が哀れだった。
榛名は、この世の終わりみたいな悲壮な顔つきの彼女をあやすように言った。
「そんなこと考えても仕方ないだろ? 悩んだって過去は変えられない。しょうがなかったんだよ。お前はあの晩おれの家に来る運命だったし、おれは母親を亡くす運命だったんだ」
 その言葉は、榛名が常に自分に言い聞かせている言葉でもあった。そう思わなければ、とてもやり切れなかったからだ。
母親はなぜ、あの日、あの場所で死なねばならなかったのか、などと考え始めるとキリがなかった。
 無限の思考ループに陥らないようにするため、榛名はいつも事故は不可避だったのだと自分に言い聞かせていた。しかし、どんなにそう思い込もうとしても、心の奥底では常に〝なぜ〟と〝もし〟が燻ぶり続けていた。
身をちぢこめて泣く澤を抱いて、榛名は呟くように言った。
「澤は悪くない。あれは運命だった」
泣き続ける澤の背中を擦りつつ、榛名は小さくため息をついた。
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