栄徳高校女子野球部! 本編 (完結)

第3章 エースになりたい!

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それから一週間後の放課後のことだった。栄徳高校女子野球部の一年生、丹波ミサキは、閑散とした学校の廊下を、一年先輩の澤一樹と歩いていた。練習終わりで、まだ白地に青の縫い取りのあるユニフォーム姿の澤は、空き教室につくと、電気をつけて廊下側の席に着いた。
机上に出された相手校の打者のデータがびっしり書き込まれた紙を、丹波はしばしの間黙って見つめた。
「直前になっちゃって悪いんだけど、これ、頭に入れてきてくれるかな?ある程度でいいから」
「これ、全部先輩が作ってくれたんですか……?」
澤が頷いた。
「うん、これはね。いつもは榛名さんとかコーチとかマネにも手を入れて貰ってるよ。でも今回は稲田高相手だし、そんな細かいのいらないって言われちゃって………丹波ちゃんもこんなのいらないと思うけど、ちょっとでも役に立ったらな、と思って一応つくってみたんだ」
控えめに言ってデータを差し出す澤に、丹波は目を輝かせて言った。
「ありがとうございます! 全部暗記します!」
澤は僅かに笑みを浮かべて頷いた。
「夏の大会、一緒に頑張ってこうね」
「はい!」
丹波は感動に心を震わせ、まぶしいものでも見るかのように目を細めて澤を見た。彼女こそ、丹波が長らく追い求めてきた憧れの先輩だったからだ。
入部してからまだそれほど経っていないにもかかわらず、敬愛する人物に気にかけてもらえた喜びに、丹波の顔はゆるみっぱなしだった。
データ表などという無味乾燥なモノではなく、彼女を見ていたかったが、あまり長い間凝視するのもはばかられたため、彼女は手元の紙に目を落とした。そして、目の前の先輩と初めて会った日のことを思い出した。
それは、およそ三年前、丹波が中学一年生の時だった。

それまで特に野球に興味があるわけではなく、というか、運動自体に興味がなかった彼女が、東陵中学の野球部に入る決心をしたのは、家族が大の野球ファンだったからだった。同居している母方の祖父母も、彼らと共に飲食店を経営するシングルマザーの母親も、上の二人のきょうだいも、揃って野球が好きだった。特に母親が野球の応援にかける情熱はすさまじく、週末ともなれば丹波やそのきょうだいたちは、球場に駆り出されるのが常だった。夏休みは、高校球児たちを見て過ごすのが慣例となっていた。
だから、なじみの深いスポーツではあったものの、家族の中で経験者は、中学時代、二か月だけ野球部に在籍してやめた祖父だけだった。彼の話では、当時、部活動といえば、今とは比べ物にならないほど長時間の練習量を課し、その上、指導者の暴言や、上級生から下級生へのいじめが常態と化している地獄のような場所だったらしい。それですぐに嫌気がさしてやめたと言っていた。
また、兄も姉も野球部には入らなかったため、毎週末、ハチマキと垂れ幕片手に球場に赴く丹波家の中で、マトモに野球というものをやったことがある者はまだだれもいなかった。それで丹波は、家族を楽しませてやりたくて、経験もなしにいきなり中学から野球を始めてみたのだった。
最初は多少大変だったが、先輩や指導者たちによる丁寧なフォローのおかげでじきに慣れていった。丹波はもともと体格が良く、球技のセンスがあったために、はじめから投手を勧められた。言われるままに練習に打ち込んでいるうちに、彼女はめきめきと腕を上げ、はじめての中総体で既にベンチ入りをしていた。学校はその年、秋田大会を順当に勝ち進み、東北大会進出を決めた。丹波が澤と出会ったのはそのときだった。
丹波は彼らと顔を合わせる前から、二人の存在を知っていた。宮城の澤、榛名といえば、小学生の頃から、いずれその名を全国に知らしめることになるだろう、と言われていたからだ。小学校時代、野球をやっていなかった丹波でさえ、彼らの名前は知っていた。特に澤の方は、頭抜けて球が速い投手として知られていた。
彼女は進学した先の春日中学硬式野球部で、すぐにベンチ入りし、一年生から大会に出ていた。その年は県大会止まりだったものの、彼女の投球を見に、高校のスカウトが何人も大会に足を運んだという話だった。
しかし、その年の秋、彼女は投手をやめた。理由はわからないが、捕手にコンバートして、以来、投げることをやめた。当時、監督には相当引き留められたらしいが、彼女は意志を曲げなかった。そして、榛名と組んで試合に出るようになったのだった。
丹波が二人と出会ったのは、そんなふうにして、澤が捕手になった後のことだった。東北大会の一回戦で丹波が籍を置く東陵中と、彼らが在籍している春日中が当たることになったのだ。
その日は、二学年上のエース、藤巻風雅(ふじまき・ふうが)が完投したため、ベンチで控えていた丹波に出番はなかったが、そこからでも相手校のバッテリーはよく見えた。澤のリードは読みづらく、打者は次々討ち取られていった。送球もピカイチで、何度も盗塁を阻止していた。彼女の動作は洗練されていてムダがなく、まるで息をするように軽々と球を放った。
そして、試合で初めて相まみえたその日から、澤の華麗なプレイが脳裏に焼き付いて離れなくなった。
あの人にリードして貰えたら、あの人に球をとってもらえたら、とそればかりを考えるようになった。だから三年生になって進路を決める段になったときに、澤の進学先の高校を選んだのは、自然な流れだった。
しかし、やがて澤と対面し、実際に一緒に練習するようになった丹波は、否が応でも〝憧れの先輩〟とその幼馴染、という完璧なバッテリーの存在に気づかされることになった。
しかし、丹波は生来的に自信家だったため、榛名という絶対的なエースを前にしても、気持ちは揺らがなかった。澤が引退する前にエースになる、というのが丹波の密かな目標だった。

あこがれの選手の澤が今目の前にいて、相手校のデータを自分のためにとってくれて、一緒に頑張ろうと言ってくれる。丹波にとってはこの上ない喜びだった。公式戦で澤と組めるということが最高にうれしかった。
「自分、がんばります! 一生懸命投げるんで、リードよろしくお願いします!」
丹波はそう言って頭を下げた。そして、照れたように微笑する相手を眺めながら、今後の起用について考えを巡らせた。
栄徳高校の監督、桃井は合理主義で有名だ。彼女は基本的に、一人の投手に頼るような野球をしなかった。
だから、強敵の将元大付属高校が出てくる三回戦まではエースを出さないだろう、と丹波は踏んでいた。また、三年生投手の香坂は安定しているし経験もあるが、四回戦以降のことも考え、二試合完投はさせないだろう、と思った。つまり、丹波の出番は近々必ず回ってくる。
「そんなふうに頭下げられるとこっちも頑張らなきゃって気になるなあ。じゃあとりあえず打者の説明に入るね」
「はい、お願いします!」
「まず先頭は、そんなに足が速いとは言えないけどスライディングの技術がある。盗塁もよくしてくるから、ノーマークにならないようにね。何回か牽制の指示を出すよ。どちらにしろ相手の士気を下げてこっちのペースに持っていけば大丈夫だから。それから二番、この打者は―――」
澤の説明を聞きながら、丹波は心の底で、絶対にエースになってやる、と誓った。

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